朝日日本歴史人物事典 「京極忠高」の解説
京極忠高
生年:文禄2(1593)
江戸前期の大名。出雲国(島根県)松江藩主。若狭国(福井県)小浜藩主高次の子,母は常高院。京都安久居生まれ。若狭守,のち左近衛権少将。慶長14(1609)年父の遺領を継ぐ。元和1(1615)年大坂の陣に出陣。寛永11(1634)年出雲・隠岐26万4000石余に転封。松江に居城をおく。忠高は,母が2代将軍徳川秀忠の室崇源院の姉であったから,徳川氏の縁戚として処遇された。江戸で死去。嗣子がなく,甥を末期養子にたてたが,領地を没収された。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報