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京極秀綱 きょうごく ひでつな

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

京極秀綱 きょうごく-ひでつな

?-1353 南北朝時代の武将。
佐々木(京極)高氏の長男。京極高秀の兄。左衛門尉(さえもんのじょう),近江守(おうみのかみ),上総(かずさ)守護,室町幕府侍所頭人(とうにん)を歴任。文和(ぶんな)2=正平(しょうへい)8年南朝方に攻められ美濃(みの)(岐阜県)にしりぞこうとする足利義詮(よしあきら)にしたがい,同年6月13日近江(滋賀県)堅田で戦死した。通称は源三。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

京極秀綱

没年:文和2/正平8.6.13(1353.7.14)
生年:生年不詳
南北朝時代守護大名。左衛門尉,検非違使,近江守。導誉の子で,嫡子となるべき立場であったが,文和2/正平8(1353)年6月に南朝軍が京都に進軍し,足利義詮 が後光厳天皇を奉じて美濃まで退避しようとしたとき,殿を務めていた秀綱は,近江堅田(滋賀県大津市)において,家来一同と共に防戦し討死した。生年は不詳であるが,「佐野本系図(京極流)」には,討死したときは29歳と記されている。父導誉と共に足利尊氏方の有力武将として活躍し,観応2/正平6年には上総国(千葉県)守護に,翌文和1/正平7年には侍所頭人に就任している。<参考文献>宇野日出生「南北朝期における守護京極氏について」上(『史朋』14号)

(宇野日出生)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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