コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

北条時行 ほうじょうときゆき

8件 の用語解説(北条時行の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北条時行
ほうじょうときゆき

[生]?
[没]正平8=文和2(1353).5.20. 鎌倉
鎌倉時代末期,南北朝時代初期の武将。鎌倉幕府の執権高時の子。通称は相模二郎。鎌倉幕府が滅亡したとき,信濃の諏訪氏のもとに逃れ,建武2 (1335) 年京都の西園寺氏とはかって兵を起し,足利直義の軍を破って鎌倉を占領。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ほうじょう‐ときゆき〔ホウデウ‐〕【北条時行】

[?~1353]南北朝時代の武将。高時の子。鎌倉幕府の滅亡後、信濃にのがれ、建武政権に抗して挙兵。一時鎌倉を回復したが、足利尊氏に敗れた(中先代の乱)。のち、南朝に属して新田義興らに従い、再度鎌倉を占領したが、敗れて斬られた。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

北条時行【ほうじょうときゆき】

南北朝初期の武将。北条氏最後の得宗(とくそう)高時の子。鎌倉幕府滅亡のとき信濃(しなの)の諏訪頼重のもとに逃れるが,1335年挙兵,足利直義(ただよし)を破って鎌倉を占領したが,足利尊氏軍に敗北(中先代の乱)。
→関連項目手越宿

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北条時行 ほうじょう-ときゆき

?-1353 南北朝時代の武将。
北条高時の次男。鎌倉幕府滅亡の際,信濃(しなの)(長野県)の諏訪頼重のもとにのがれる。建武(けんむ)2年信濃で頼重らと挙兵,鎌倉を奪還したが,足利尊氏に敗れて逃走(中先代(なかせんだい)の乱)。のち南朝に帰順。観応(かんのう)3=正平(しょうへい)7年新田義興(よしおき)とふたたび鎌倉を一時占拠したが尊氏に敗れて捕らえられ,翌年5月20日処刑された。通称は相模次(二)郎。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

北条時行

没年:文和2/正平8.5.20(1353.6.21)
生年:生年不詳
鎌倉後期の武将。高時の次男。相模二郎。童名には亀寿丸・全嘉丸・勝長寿丸があり明確でない。北条氏滅亡の元弘3(1333)年,叔父・泰家の命により諏訪盛高が身柄を保護し信濃に下り,建武2(1335)年,泰家と関東申次西園寺公宗との計略の露顕で諏訪頼重らと信濃で挙兵し,鎌倉の将軍・成良親王と足利直義を攻略し7月25日に鎌倉を占領したが足利尊氏らの反撃にあい8月18日には鎌倉を退去した。鎌倉占拠の期間から「廿日先代」とも号された(中先代の乱)。時行の鎌倉占拠の間,寺に入っていた北条氏一族に還俗が相次いだという。その後,禅律寺院に寄宿して移動し,延元2(1337)年に宮方に降り勅免の綸旨を得,以後,南朝方として行動する。翌年には新田義興と共に東国に派遣され,正平7(1352)年閏2月には新田勢と共に足利基氏の軍勢を破り鎌倉を占領したが,まもなく鎌倉を退去し捕らえられ,5月20日に鎌倉竜の口で長崎駿河四郎,工藤二郎と共に殺害された。

(福島金治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ほうじょうときゆき【北条時行】

?‐1353(正平8∥文和2)
南北朝初期の武将。高時の次男。1333年(元弘3)鎌倉幕府滅亡のとき,鎌倉を脱出し信濃の諏訪頼重のもとに隠れる。35年(建武2)西園寺公宗と通じて挙兵。足利直義軍を破って鎌倉を占領したが,東下した足利尊氏軍に敗れた(中先代の乱)。37年南朝に帰順し,西上する北畠顕家軍に従軍する。52年観応の擾乱(じようらん)に乗じて鎌倉を占拠したが捕らえられ,翌年5月殺された。【青山 幹哉】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ほうじょうときゆき【北条時行】

?~1353) 南北朝時代の武将。高時の子。鎌倉幕府滅亡後、幕府再興を図り挙兵したが足利尊氏のため敗走(中先代の乱)。その後も南朝方に従って何度か挙兵したが、鎌倉で捕らえられ、竜口で斬られた。中先代。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北条時行
ほうじょうときゆき
(?―1353)

鎌倉末~南北朝期の武将。第14代執権北条高時(たかとき)の次男。幼名亀寿丸(かめじゅまる)。通称相模(さがみ)次郎。鎌倉幕府滅亡(1333年5月)の際、信濃諏訪(しなのすわ)氏にかくまわれたが、京都の西園寺公宗(さいおんじきんむね)、北条泰家(やすいえ)らと通謀、1335年(建武2)7月信濃で挙兵。足利直義(あしかがただよし)を破り、鎌倉を奪還したが、翌8月足利尊氏(たかうじ)に敗れて逃走した(中先代(なかせんだい)の乱)。38年(延元3・暦応1)朝敵赦免の綸旨(りんじ)を得て、西上する北畠顕家(きたばたけあきいえ)軍に参加、美濃青野原(みのあおのがはら)で足利方を破った。52年(正平7・文和1)閏(うるう)2月、尊氏と直義らの争いに乗じ、新田義宗(にったよしむね)・義興(よしおき)兄弟が挙兵。時行もこれに参加し、ふたたび鎌倉を奪還。しかし、やがて捕らえられ、翌年5月鎌倉竜ノ口(たつのくち)にて斬殺(ざんさつ)された。[奥富敬之]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の北条時行の言及

【中先代の乱】より

…1335年(建武2)7月北条高時の次男北条時行が建武政権に抗して起こした反乱。当時執権北条氏を先代と呼んだので,その再興を図った時行を中先代と称した。…

※「北条時行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

北条時行の関連キーワード松平正信相模入道足利義助安東聖秀梶原景高五大院宗繁相馬師常北条師時村山義信和田義茂

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone