デカメロン(読み)でかめろん(英語表記)Decameron

翻訳|Decameron

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デカメロン」の意味・わかりやすい解説

デカメロン
でかめろん
Decameron

14世紀イタリアの大作家ジョバンニ・ボッカチオの代表作。「十日物語」の意。10日100話の短編物語(ノベツラ)を集大成した作品で、三界百歌の構成をもつダンテの『神曲』(神聖喜劇)に対して、『人曲』(人間喜劇)ともよばれる。中世ヨーロッパの民間伝承逸話史実、伝説などを素材にして、王侯貴族から下男下女、教皇から乞食(こじき)に至るまで、ありとあらゆる社会階層の人物群を登場させ、『千一夜物語』などの流れをくむ枠物語の結構に収め、著者、1日の物語の主宰者、話者、作中人物らが、複雑に語り合い、重層的な対話世界を、前衛的な文学手法で描き出している。

 著者は長年にわたって書きためてきた、あるいは温存してきた短編物語も含め、1349年から51年にかけて、10日100話をまとめ上げた。巻頭巻末に断り書きがあり、第1日の冒頭には長い序文も付せられていて、著者の創作意図がときには細部にわたって記されているが、とりわけ、むしろ陽気さと活気に満ちた100の短編物語群をまとめる契機になった基盤、もしくはその背景を埋め尽くしている暗黒のペスト場景、すなわち地獄絵のような当時のフィレンツェ市国の惨状の描写は、注目に値するであろう。この陽気な物語群は、迫りくる死の恐怖のなかで、閉ざされた社会の奥に心満たされぬ思いで生きる女性たちのために書かれた、と著者は断っている。

河島英昭

その構成

1348年のペストが荒れ狂うフィレンツェで、聖女マリーア・ノベッラ教会堂に、年若い3人の貴公子と7人の貴婦人とが落ち合い、郊外の丘陵に囲まれた山荘へ難を逃れ、黒々とした現実世界の憂さを晴らすため、10日にわたって各人が一話ずつ物語をすることになる。そして、日ごとに一座を取り仕切る王もしくは女王を選び出し、その主宰のもとに、指名されながら、各人が短編物語を話しだす。第1日と第9日は自由に自分の好みの物語を話してもよいが、他の日にはそれぞれに主題が定められている。ただし、貴公子のディオネーオにだけは主題からすこしそれてもよい特権が与えられてある。たとえば第1日は女王パンピーネアが主宰し、第一話は貴公子パンフィロが物語るのだが、名高い大悪党チェッパレッロは臨終一世一代の大嘘(うそ)をついて聖者チャッペレットになりすますという筋書き。また1日の末尾には締めくくりのことばとともに、一座の者たちが踊りに打ち興じて、カンツォーネを歌うことになっている。

 100話の短編物語はそれぞれに奇想天外なものばかりで、おおむねは明るい喜劇だが、不幸な愛を物語る第4日のように暗いものも配置されている。物語の舞台はイタリア半島を大きく踏み出して、ヨーロッパはもとより、オリエント、アフリカの各地に及び、この作品が中世からルネサンスにかけての「商人の叙事詩」とよばれるゆえんともなっている。

[河島英昭]

『森田草平訳『デカメロン』全二巻(1931・新潮社)』『柏熊達生訳『デカメロン』(1955・河出書房)』『岩崎純孝訳『デカメロン』全二巻(1971・集英社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デカメロン」の意味・わかりやすい解説

デカメロン
Decameron

イタリアの作家ジョバンニ・ボッカチオの代表作。「10日物語」の意。 1348~53年頃に書かれたとされている。物語は,フィレンツェの3人の青年と7人の淑女とが,郊外の別荘にペストの難を逃れ,それぞれが1日1話を 10日にわたり順番に物語る体裁をとり,100話を収める。登場人物は王侯貴族から悪漢や貧者にいたるまですべての階層を含み,内容も滑稽なもの,好色なものから悲劇的なものにまで及ぶ。人間性の真理をとらえるとともに 14世紀イタリア社会をみごとに写し出し,ダンテの『神曲』に対して「人間喜劇」とも呼ばれ,ヨーロッパ散文小説の範となった。

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