日本大百科全書(ニッポニカ) 「京都町代」の意味・わかりやすい解説
京都町代
きょうとちょうだい
江戸時代、京都の町役人。16世紀末にはその呼称がみえ、町組の実力者かと推測されるが、17世紀後半には京都町奉行所(ぶぎょうしょ)の下級役人化して町触(まちぶれ)の伝達、上申事項などの取り次ぎをするうち勢威を強め、町組の年寄にかわる統率者のようになった。町代の持場は町組を単位としたが、1人で複数の町組を担当するものもあり、京都全体では常時10余名を数えた。寛文(かんぶん)年間(1661~73)ころから世襲制となり苗字(みょうじ)を名のり、町組との結び付きも固定化したという。しかし、中期以降町組との軋轢(あつれき)が激化し、文化(ぶんか)(1804~18)末年には大訴訟事件を引き起こした。
[鎌田道隆]