日本歴史地名大系 「仁堀西村」の解説
仁堀西村
にぼりにしむら
[現在地名]吉井町仁堀西
村の北には標高約二五〇―三〇〇メートルの山々が連なり、
慶長九年(一六〇四)の検地帳(吉井町役場文書)によれば田方二四町三反余・高三九一石余。同一〇年備前国高物成帳(備陽記)では仁堀庄に西村とみえ、寛永備前国絵図では仁堀西村として高四四三石余。「備陽記」には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
村の北には標高約二五〇―三〇〇メートルの山々が連なり、
慶長九年(一六〇四)の検地帳(吉井町役場文書)によれば田方二四町三反余・高三九一石余。同一〇年備前国高物成帳(備陽記)では仁堀庄に西村とみえ、寛永備前国絵図では仁堀西村として高四四三石余。「備陽記」には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...