日本大百科全書(ニッポニカ) 「今北洪川」の意味・わかりやすい解説
今北洪川
いまきたこうせん
(1816―1892)
幕末・明治初期の臨済宗の僧。法諱(ほうき)は宗温(そうおん)、号は蒼龍窟(そうりゅうくつ)、虚舟(こしゅう)。摂津国福島(大阪市)の人。初め儒者藤沢東(ふじさわとうがい)(1795―1865)の門に入って徂徠(そらい)学を学び、のち折衷(せっちゅう)学を唱えた。禅僧との議論に敗れ、相国寺(しょうこくじ)の大拙承演(だいせつじょうえん)(1797―1855)に師事し、備前(びぜん)国(岡山県)曹源寺(そうげんじ)の儀山善来(ぎざんぜんらい)(1802―1878)の法を嗣(つ)いだ。1859年(安政6)周防(すおう)国(山口県)岩国の藩主吉川(きっかわ)侯に迎えられて住し、1862年(文久2)『禅海一瀾(ぜんかいいちらん)』を撰(せん)し、儒仏の二教一致調和を説いた。維新後のキリスト教解禁に際しては、環旋(かんせん)論、直線論の概念を用いて反駁(はんばく)した。1875年(明治8)に鎌倉円覚寺(えんがくじ)住持、1882年に管長に就任し、釈宗演(しゃくそうえん)、鈴木大拙らを指導した。明治25年1月16日示寂。『蒼龍廣録(こうろく)』『漚和集(おうわしゅう)』『坐禅論和解(ざぜんろんわげ)』などの著がある。
[金田諦応 2017年5月19日]
『「今北洪川」(『鈴木大拙全集 第26巻』所収・1970・岩波書店)』