鈴木大拙(読み)すずき だいせつ

美術人名辞典の解説

鈴木大拙

仏教哲学者・文学博士。石川県生。名は貞太郎。東大哲学科選科卒。鎌倉円覚寺今北洪川釈宗演に師事しの研究に努め、英文雑誌「イースタン・ブディスト」を刊行するなど広く海外にも紹介する。著に『大乗仏教概論』、『禅と日本文化』等。文化勲章受章。昭和42年(1967)歿、98才。

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デジタル大辞泉の解説

すずき‐だいせつ【鈴木大拙】

[1870~1966]仏教哲学者。石川の生まれ。今北洪川(いまきたこうせん)・釈宗演について禅を修行。仏教、特に禅の思想の研究・普及に努力。仏教関係の英文著作も多く、海外での名声が高い。文化勲章受章。著「禅と日本文化」「禅思想史」など。

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百科事典マイペディアの解説

鈴木大拙【すずきだいせつ】

仏教学者,禅の欧米への紹介者。金沢の生れ。本名貞太郎(ていたろう)。1887年,以後親交を結ぶ西田幾多郎(きたろう)とともに四高に編入学。1891年鎌倉円覚(えんがく)寺で今北洪川(いまきたこうせん),釈宗演(しゃくそうえん)につき参禅。1897年渡米してP.ケーラスに師事した。1900年《大乗起信論》を英訳,1907年英文で《大乗仏教概論》を出版。1909年帰国して東大講師,学習院教授となり,1911年米人ビアトリス・レーンと結婚。1921年大谷大学教授となり,東方仏教徒協会を設立。以後,仏教と禅を世界に紹介するため努力した。1949年文化勲章。著書《禅と日本文化》など多数。
→関連項目エラノス会議ケージ釈宗演妙好人

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鈴木大拙 すずき-だいせつ

1870-1966 明治-昭和時代の仏教学者。
明治3年10月18日生まれ。帝国大学にまなび,鎌倉円覚寺の今北洪川(こうせん),釈宗演(しゃく-そうえん)に師事。明治30年アメリカにわたり,「大乗起信論」の英訳,「大乗仏教概論」の英文出版をおこなう。42年帰国後学習院教授,大谷大教授。英文雑誌「イースタン-ブディスト」を創刊,アメリカの大学でおしえ,仏教や禅思想をひろく世界に紹介した。昭和24年文化勲章。昭和41年7月12日死去。95歳。加賀(石川県)出身。本名は貞太郎。著作に「禅と日本文化」など。
【格言など】絶対の威力に生きて責任をもたぬものあり,名を国家と云う(昭和17年西田幾多郎への手紙)

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世界大百科事典 第2版の解説

すずきだいせつ【鈴木大拙】

1870‐1966(明治3‐昭和41)
仏教哲学者。本名貞太郎。金沢に生まれる。同郷の西田幾多郎,藤岡作太郎と親交を結び,加賀の三太郎と称された。22歳で上京,東京専門学校から東京帝国大学選科に進んだ。学生時代,鎌倉円覚寺の今北洪川(こうせん),釈宗演(しやくそうえん)に参禅,大拙の道号を受けた。1897年渡米し,イリノイ州の出版社オープン・コートに入り,哲学者ポール・ケーラスを助けて東洋学関係の出版に従事するかたわら,《老子道徳経》《大乗起信論》を英訳し,《大乗仏教概論》を英文で出版した。

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大辞林 第三版の解説

すずきだいせつ【鈴木大拙】

1870~1966) 仏教哲学者。本名、貞太郎。金沢の人。学習院大学・大谷大学教授。円覚寺で参禅。数次にわたって欧米に渡り、英文で仏教、特に禅を紹介し、東西の思想・文化の交流に大きく貢献した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鈴木大拙
すずきだいせつ

[生]明治3(1870).10.18. 金沢
[没]1966.7.12. 鎌倉
仏教思想家。本名は貞太郎。東京大学選科卒業後,27歳のとき渡米。『大乗起信論』の英訳 ("The Discourse on the Awakening of Faith in the Mahayana"1900) などにより仏教特に禅思想を欧米に紹介し,帰国後は学習院大学教授となる。 41歳のときアメリカ女性ビアトリス・レーンと結婚。 1945年鎌倉に松ヶ岡文庫を創立した。この頃からアメリカの諸大学で講義を続け,日本文,英文の膨大な著書や論文を残している。 49年文化勲章受章。『鈴木大拙全集』 (30巻,別巻2巻,68~71) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鈴木大拙
すずきだいせつ
(1870―1966)

明治~昭和期の仏教哲学者。その名はDaisetz T. Suzukiとして、国内よりもむしろ国外に広く知られる。明治3年10月18日、金沢市本多町に、父良準(1822―1876)、母増(1830―1890)の4男1女の四男として生まれる。本名は貞太郎。6歳のときに医師であった父を失う。第四高等中学校本科に進学したが中退し、小学校の英語教師、訓導となって家計を助けた。21歳のとき上京して東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)に入学し英文学を修めたが、かねて参禅を志したことから鎌倉・円覚(えんがく)寺の今北洪川(いまきたこうせん)に師事し、洪川の寂後は釈宗演(しゃくそうえん)につき、重ねて円覚寺に参禅を続けた。大拙の名はこの宗演から受けた居士(こじ)号である。1892年(明治25)9月、東京帝国大学文科大学選科に入学、1895年9月同科修了。選科への入学は同郷の学友西田幾多郎(にしだきたろう)の勧誘による。1897年、宗演の推薦により渡米、イリノイ州ラサルのオープン・コート出版社The Open Court Publishing Companyの編集員として勤めながら勉学に励み、1900年(明治33)30歳のとき、馬鳴(めみょう)(アシュバゴーシャ)の『大乗起信論(だいじょうきしんろん)』の訳注、すなわち『Avaghosha's Discourse on the Awakening of Faith in the Mahayana』をオープン・コート出版社から、続けて1907年に『Outlines of Mahayana Buddhism』(『大乗仏教概論』)をロンドンのルザック社Luzac and Companyから、翌1908年にオープン・コート出版社からまた刊行するに及んで、大拙の名は新進の仏教学者として、一躍して欧米に知られた。在米12年、39歳のとき帰国、この年10月東京帝国大学文科大学講師、ついで学習院講師となり、のち学習院教授に昇進。41歳のときアメリカ人のビアトリース・レーンBeatrice Erskine-Lane(1878―1939)と結婚、1921年(大正10)3月、真宗大谷大学教授に転じた。昭和41年7月12日、96歳の生涯を閉じるまで旺盛(おうせい)な研究活動を続け、英文の著書30余冊、和文の著書120余冊を残したことは有名。英文の名著に『Zen Buddhism and Its Influence on Japanese Culture』(『禅と日本文化』。のちに『Zen and Japanese Culture』として改訂)、『Essays in Zen Buddhism』3巻など数々があり、禅をZENとして世界に定着させた功績は大きい。また晩年の労作に親鸞(しんらん)の『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の英訳がある。第二次世界大戦後10年間はまたアメリカに滞在し、コロンビア大学、ハーバード大学にて仏教思想を講じた。1945年(昭和20)鎌倉東慶寺内に財団法人松ヶ岡文庫を設立、1949年日本学士院会員となり、同年文化勲章を受けた。[古田紹欽]
『『鈴木大拙全集』全32巻(1968~1971/増補新版、全40巻・1999~2003・岩波書店) ▽久松真一・山口益・古田紹欽編『鈴木大拙――人と思想』(1971・岩波書店)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

すずき‐だいせつ【鈴木大拙】

思想家、仏教学者。文博。名は貞太郎。金沢の人。帝国大学哲学科選科卒。釈宗演について禅を修行し、明治三〇年(一八九七)渡米、東洋思想、特に禅をはじめとする大乗仏教の研究・紹介・宣揚につとめ、東西の思想的なかけ橋となった。同四二年帰国後、学習院・真宗大谷大学などで教鞭をとる。昭和二一年(一九四六)鎌倉東慶寺内に松ケ岡文庫を設立。同二四年文化勲章受章。全集三〇巻がある。明治三~昭和四一年(一八七〇‐一九六六

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