今吉村(読み)いまよしむら

日本歴史地名大系 「今吉村」の解説

今吉村
いまよしむら

[現在地名]日吉津村今吉

日野川河口右岸、美保みほ湾に面し、南はいま村。砂地を開発して成立した新田村。幕末の六郡郷村生高竈付には別高四〇石余とあり、竈数二一。本免二ツ。「伯耆志」によれば家数二〇・人数七〇。金毘羅を祀っていた。弘化元年(一八四四)柏尾かしお(現西伯町)の彦三郎が日吉津今村(今村)分の灘浜の開発を許され、安政三年(一八五六)に今吉村として領内限りの新村とされた(在方諸事控)。新田開発の協力者に倉吉荒尾分家の荒尾千葉とその家臣小溝金翁がいた。一三年をかけ、約四〇ヘクタールの新田が造成されたが、開発は日野川上流での鉄穴流しによる泥水を、熊党くまんとう(現米子市)付近から当地まで井手で導き、砂地に泥を流し込むという難工事であったという(日吉津村誌)


今吉村
いまよしむら

[現在地名]吉富町今吉

広津ひろつ村の南に位置し、山国やまくに川西岸の平坦地に立地する。江戸時代領主変遷広津村に同じ。正保国絵図に今吉とみえ、高一六〇石余。天保三年(一八三二)の中津藩領郷村高帳下書では高二四六石余、うち改出高六五石余、享保七年(一七二二)から文化一三年(一八一六)までの改出高八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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