今和田新田(読み)いまわだしんでん

日本歴史地名大系 「今和田新田」の解説

今和田新田
いまわだしんでん

[現在地名]兵庫区三石通みついしどおり一―三丁目・上庄通かみしようどおり一―三丁目・和田宮通わだみやどおり二―三丁目・和田崎町わださきちよう一丁目・笠松通かさまつどおり五―六丁目・小松通こまつどおり二―五丁目

和田崎町南西、和田岬に近い沖積地に位置し、兵庫津地方のうち。和田芝野わだしばのともよばれたこの地は、慶安二年(一六四九)大坂町奉行所により山城石清水いわしみず八幡宮神馬秣場として御崎みさき村領であることが認められた。元禄年間(一六八八―一七〇四)兵庫津の名主・庄屋らが開拓して御崎村争論になったが、結局開墾地部分は開拓者に認められた。兵庫津庄屋仙右衛門はその後も御崎村と協議を続けて開墾を進め、享保八年(一七二三)検地を受けて今和田新田五八石余(畑)が成立、尼崎藩の年貢免状に記載され(兵庫岡方文書)、兵庫津地方の一部となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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