日本大百科全書(ニッポニカ) 「白山信仰」の意味・わかりやすい解説
白山信仰
はくさんしんこう
越前(えちぜん)(福井県)、加賀(かが)(石川県)、美濃(みの)(岐阜県)三国にまたがってそびえ立つ白山を対象とする信仰。白山が信仰の対象として仰がれるようになったのは、大化(たいか)(645~650)前代のことであろう。つまり白山信仰は、白山に源を発する九頭竜(くずりゅう)川(福井県)、手取(てどり)川(石川県)、長良(ながら)川(岐阜県)流域の人々の間から、また相前後して日本海で白山を航路案内とする漁民の間から自然に発生したものと考えられる。
ついで、奈良から平安時代にかけて全国的に山岳信仰が盛んとなるなかで、白山にも717年(養老1)越(こし)の大徳といわれた泰澄大師(たいちょうだいし)が初めて登拝し(『泰澄和尚(かしょう)伝記』)、これ以後登山口には修験(しゅげん)の道場が置かれ、ここを中心に白山信仰は全国に流布し、新たな展開をみせた。その道場とは、前記三国にそれぞれ設けられ、「三箇馬場(さんこのばんば)」と総称される越前馬場(平泉寺(へいせんじ)白山神社)、加賀馬場(白山寺白山比咩(しらやまひめ)神社)、美濃馬場(長滝(ながたき)寺白山神社)のことで、最盛時には多数の社僧を擁し大勢力を誇った。白山信仰の一端をうかがい知る資料に『白山曼荼羅(まんだら)』『白山講式(こうしき)』『白山牛王(ごおう)』などがある。
[平泉隆房]
『高瀬重雄編『山岳宗教史研究叢書10 白山・立山と北陸修験道』(1977・名著出版)』▽『下出積與編『民衆宗教史叢書18 白山信仰』(1986・雄山閣出版)』▽『神道大系編纂委員会編・刊『神道大系34 若狭・越前・加賀・能登国』(1987)』