日本歴史地名大系 「仏性寺村」の解説
仏性寺村
ぶつしようじむら
現大江町の最北部を占め、由良川支流の
慶長検地郷村帳に高八五石「仏性寺村」とみえるが、延宝九年(一六八一)の検地で八四・六五石の減高となった(天和元年宮津領村高帳)。宮津藩領。
宮川の大江山麓を流れる部分を
と記し、ほかに二所伝えられるとする(中郡の→磯砂山)。
東流して宮川に合流する
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現大江町の最北部を占め、由良川支流の
慶長検地郷村帳に高八五石「仏性寺村」とみえるが、延宝九年(一六八一)の検地で八四・六五石の減高となった(天和元年宮津領村高帳)。宮津藩領。
宮川の大江山麓を流れる部分を
と記し、ほかに二所伝えられるとする(中郡の→磯砂山)。
東流して宮川に合流する
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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