仲田村
なはだむら
伊是名島の南東部、伊是名村の北東に位置する。伊平屋島を構成する八行政村の一つ。東に浮ぶ降神島は当村の属島で、伊平屋の七離の一つ。第二尚氏の開祖尚円(金丸)の叔母(真世仁金)の神職(二かや田の阿母)を継承する二つの家筋が存在する。万暦一五年(一五八七)七月八日の伊平屋の首里大屋子宛辞令書(県立博物館蔵、県指定文化財)に「ゑひやのなかた」とみえ、「いのゑなはる」「下はる」「こははる」「あまくすくはる」「ちやふけなはる」にある五カリヤ三オツカ五〇ツカの田が安堵されているが、その「ミかない」として「なつほこり」の際の「おまかない」、「正月ミかない」の際の「御さけ」「おまかない」「ミしやもち」の上納が命じられている。絵図郷村帳に中田村とある。琉球国高究帳では中田村として高頭二〇二石余のうち田一六九石余・畠三二石余。伊平屋島旧記集(琉球大学附属図書館蔵)などによると、真世仁金は二かや田の阿母職を得たが、彼女の死後に神職は二人の娘に分割・継承された。
仲田村
なかだむら
「中山伝信録」に与那城間切に属する村としてみえる。絵図郷村帳・琉球国高究帳・「琉球国由来記」・「琉球国旧記」などの資料にはみえず、脇地頭の
村としても確認できない。ただし与那城間切の惣地頭名は、康熙一五年(一六七六)の西原間切(のち与那城間切)新設時は向世俊仲田親方朝重となっているので(「球陽」尚貞王八年条)、当村は惣地頭の
村であっただろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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