伊予川(読み)いよがわ

日本歴史地名大系 「伊予川」の解説

伊予川
いよがわ

愛媛県のささヶ峰(一八六〇メートル)源流とし、石鎚いしづち山系法皇ほうおう山脈南斜面の嶺南れいなん地方を東流、同県伊予三島いよみしま市・新宮しんぐう村を経て徳島県に入り、山城町川口かわぐちで吉野川に合流する。河川法上は銅山どうざん川であるが、一般には愛媛県を流れる約五四キロを銅山川、徳島県を流れる約一〇キロを伊予川とよぶ。流域面積二八七・八平方キロ、幹川流路延長六三・二キロの一級河川。吉野川の支流では祖谷いや川に次ぐ長さをもつ。四国を内帯と外帯に分ける中央構造線に沿う東西の縦谷を形成する。

元禄四年(一六九一)に開鉱された別子べつし銅山(現愛媛県別子山村)が水源地に位置したため、精錬過程で生ずる鉱毒下流の住民は悩まされてきた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の伊予川の言及

【重信川】より

…重信町横河原付近に形成された扇状地は砂礫層が厚く堆積して天井川となり,平時は伏流しほとんど表流水がみられない。古くは伊予川と称したが,文禄・慶長期(1592‐1615)ころに松山藩主加藤嘉明の重臣足立重信が改修したことから,その功績をたたえ重信川と改められた。改修工事は,加藤氏の後,蒲生氏,松平氏と松山藩主に引き継がれ,どの部分が重信の施工かは定かではないが,改修前の伊予川は松山市高井付近から現在の流路の南方を麻生(あそう),八倉,徳丸,出作,大溝を経て松前(まさき)の南で伊予灘に注いでいたと考えられている。…

【銅山川】より

…高知との県境をなす石鎚山系冠山(1732m)の北麓,愛媛県宇摩郡別子山村西部に源を発し,法皇山脈の南を東流,徳島県境まで延長約40km。徳島県に入って伊予川といい,三好郡山城町で吉野川に合流する。川の名は別子銅山に由来するが,史料には山城川,金砂(きんしや)川とも記される。…

※「伊予川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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