デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊佐幸琢」の解説
伊佐幸琢(初代) いさ-こうたく
貞享(じょうきょう)元年生まれ。石州流怡渓(いけい)派の祖怡渓宗悦にまなび,伊佐派をおこした。享保(きょうほう)のころ幕府の数寄屋頭(すきやがしら)となる。大地宗琢(おおち-そうたく)ら半々庵七哲をはじめ,おおくの門人がいた。延享2年6月11日死去。62歳。号は半々庵。
伊佐幸琢(4代) いさ-こうたく
3代伊佐幸琢の子。石州流伊佐派4代をつぎ,幕府の数寄屋頭(すきやがしら)をつとめる。松平不昧(ふまい)(治郷(はるさと))から看山の号をおくられた。文化13年10月11日死去。初名は栄琢。号は半能庵。
伊佐幸琢(3代) いさ-こうたく
2代伊佐幸琢に師事。石州流伊佐派3代をつぎ,幕府の数寄屋頭(すきやがしら)をつとめた。門人に松平不昧(ふまい)(治郷(はるさと)),津田外記(げき)らがいる。文化5年9月8日死去。号は半寸庵。
伊佐幸琢(2代) いさ-こうたく
宝永3年生まれ。初代伊佐幸琢の子。石州流伊佐派2代をつぎ,幕府の数寄屋頭(すきやがしら)をつとめた。門人に鶴岡受栄らがいる。寛政7年2月23日死去。90歳。号は半提庵。