伊佐幸琢(読み)いさ・こうたく

朝日日本歴史人物事典 「伊佐幸琢」の解説

伊佐幸琢(初代)

没年:延享2.6.11(1745.7.10)
生年貞享1(1684)
江戸前期の茶匠。江戸幕府の御数寄屋頭。半々庵と号した。生年には異説もある。品川の東海寺高源院開山・怡渓宗悦石州流の茶を学び,享保(1716~36)ごろに幕府の御数寄屋頭となる。武家,町人に多くの門下を持ち,なかでも秤座の守随彦太郎,越後溝口家の長谷川如水,旗本の五十嵐市十郎,町年寄喜多村彦右衛門,その他中尾関悦,太地宗琢,高井土佐の7人は「半々庵七哲」と呼ばれた。以後4代幸琢に至るまで,代々幕府の御数寄屋頭を勤めた。<参考文献>野村瑞典『石州流―歴史と系譜』『定本石州流』

(谷端昭夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊佐幸琢」の解説

伊佐幸琢(初代) いさ-こうたく

1684-1745 江戸時代中期の茶人
貞享(じょうきょう)元年生まれ。石州流怡渓(いけい)派の祖怡渓宗悦にまなび,伊佐派をおこした。享保(きょうほう)のころ幕府の数寄屋頭(すきやがしら)となる。大地宗琢(おおち-そうたく)ら半々庵七哲をはじめ,おおくの門人がいた。延享2年6月11日死去。62歳。号は半々庵。

伊佐幸琢(4代) いさ-こうたく

?-1816 江戸時代後期の茶人。
3代伊佐幸琢の子。石州流伊佐派4代をつぎ,幕府の数寄屋頭(すきやがしら)をつとめる。松平不昧(ふまい)(治郷(はるさと))から看山の号をおくられた。文化13年10月11日死去。初名は栄琢。号は半能庵。

伊佐幸琢(3代) いさ-こうたく

?-1808 江戸時代中期-後期の茶人。
2代伊佐幸琢に師事。石州流伊佐派3代をつぎ,幕府の数寄屋頭(すきやがしら)をつとめた。門人に松平不昧(ふまい)(治郷(はるさと)),津田外記(げき)らがいる。文化5年9月8日死去。号は半寸庵。

伊佐幸琢(2代) いさ-こうたく

1706-1795 江戸時代中期の茶人。
宝永3年生まれ。初代伊佐幸琢の子。石州流伊佐派2代をつぎ,幕府の数寄屋頭(すきやがしら)をつとめた。門人に鶴岡受栄らがいる。寛政7年2月23日死去。90歳。号は半提庵。

伊佐幸琢(5代) いさ-こうたく

1804-1890 江戸後期-明治時代の茶人。
文化元年生まれ。石州流伊佐派5代をつぐ。明治23年10月18日死去。87歳。初名は宗利(栄利とも)。号は半片庵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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