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…出雲国(島根県)松江藩主松平不昧(ふまい)(松平治郷)が収集した道具の目録帳。《雲州名物帳》《雲州道具買入帳》と称して一定せず,内容もまた若干異にする類本が世上に多く流布しており,底本とすべきものはない。…
…江戸時代に編集された名物茶器の図鑑。松平不昧(ふまい)が陶斎尚古老人の名で著したもの。全18巻。…
…広義には,歴史,芸術,民俗,産業,自然科学などの資料,切手,貨幣などの趣味品の収集をいうが,ここでは美術品の収集について述べる。 われわれが美術品に接するときの二つの重要な方法,享受と研究とのために,美術品のコレクションは欠くべからざるものである。なぜならば,建築や,建築の内外に付随するため現地に残されている美術品を除いて,過去のあらゆる美術的遺産は必ずなんらかの収集に属しているといえるからである。…
…江戸時代の大名によって担われた茶の湯。桃山時代の茶道の発展は,大名,公家,町人,僧侶など幅広い支持層をもったが,江戸時代になって各身分差が厳重になるとともに,それぞれの担い手の層によってその茶道の性格も微妙な差異を見せるようになった。《清巌禅師茶事十六ヶ条》に〈大名有力の茶〉という語があり,町人の茶に対する大名の茶というタイプが意識されている。大名茶といえば歴代徳川将軍の茶道指南とされる古田織部,小堀遠州,片桐石州ら大名茶人の茶風を指すが,織部にはかぶき者的な性格があって大名茶と性格を異にする。…
…七事式という新しい学習法が考案され,広間の茶室が流行するようになった。茶の湯にも立派が盛んとなり諸流が競いはじめたころ,松平不昧(まつだいらふまい)は,〈諸流皆我が流〉と達観し,古典を尊重し,諸流の総合の上に独自な茶境を形成した。彼が1806年(文化3)に完成した大崎園には不昧の茶の理想境が具現された。…
…18世紀の茶道の特徴は町人の間に広がった茶道が遊芸化し,それにともなって茶道が家元制度(家元)をとりはじめることだ。19世紀になると,遊芸化した茶道への批判として,秘伝に隠された茶道具の実証的研究を軸に名物を中心とした茶道の復興を試みる松平不昧(松平治郷(はるさと)),あるいは茶道を精神的修行の場として再認識しようとする井伊直弼,あるいは茶を既成の芸道から解放して文人の楽しみとしようとする煎茶道などの新しい動きがあらわれた。 明治維新以後,茶道は一時期衰退する。…
…茶道具の位付を表す名物の一種。中興名物は小堀遠州の美意識によって選ばれた名品といえるが,その呼称は松平不昧(松平治郷(はるさと))の《古今名物類聚》に初見される。茶入でいえば,唐物・古瀬戸より後の,瀬戸窯や国焼(くにやき)の中から選ばれ,また大名物(おおめいぶつ)からもれた品も美の基準の問題として入ってくる。…
…出雲国(島根県)松江に藩庁を置いた藩。初期は外様,中期以降は親藩。1600年(慶長5)堀尾吉晴が出雲・隠岐両国24万石に封ぜられ,能義郡富田城に入る。07年島根郡末次の亀田山に移城を決定,11年に完成移転,以後歴代藩主の居城となった。34年(寛永11)断絶した堀尾氏に代わって京極忠高が入封,出雲・隠岐両国に加えて石見銀山の大森代官所支配地5万石も支配する。次いで京極氏が断絶して,38年結城秀康の三男松平直政が藩主となった。…
…江戸中期の大名。出雲国松江藩の第7代藩主。号は不昧(ふまい)。17歳で襲封,1806年(文化3)に致仕。治郷の襲封は家老朝日丹波による御立派(おたては)の改革政治の第一着手として行われ,父宗衍(むねのぶ)は38歳で隠居させられた。徹底した綱紀粛正と行政改革,勧農抑商と貢租増徴で藩財政の赤字を解消した改革政治であった。治郷は〈名君〉の誉れが高いにもかかわらず,その治績についての記録は残っていない。治郷が藩主として政治を行ったのは,朝日丹波の没後に行った御直捌(おじきさばき)で,晩年の10年間に当たる。…
※「松平不昧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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