伊参郷
いさまごう
「和名抄」高山寺本は「以左末」、東急本は「伊佐萬」と訓を付す。長元三年(一〇三〇)の「交替実録帳」吾妻郡に「伊参院」がみえ、「東一屋壱宇 北一屋一宇 雑屋壱宇」と記される。現中之条町伊勢町の伊参を遺名とする。「日本地理志料」は郷域を名久田川流域から四万川に至る広域の地とする。中之条町横尾の吾妻神社は、江戸時代和理宮と称されていた。
伊参郷
いさまごう
「和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠く。「和名抄」は上野国吾妻郡伊参郷の訓を「伊佐万」とするので、ここもそれに準じて読むべきであろうか。「続日本紀」宝亀二年(七七一)一〇月二七日条によれば、武蔵国を東山道から東海道に所属替えとする太政官奏に「今東海道者、従相模国夷参駅、達下総国、其間四駅」とあり、この夷参駅が当郷に置かれた駅家であろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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