日本歴史地名大系 「伊布利村」の解説 伊布利村いぶりむら 高知県:土佐清水市伊布利村[現在地名]土佐清水市以布利(いぶり)大岐(おおき)村の南、足摺(あしずり)半島の基部の最もくびれたところの東海岸、西方山中より出て東北流する以布利川の河口に中心集落があり、東南の伊予駄場(いよのだば)付近は海岸段丘が発達している。「土佐州郡志」が伊布利浦とし、「界大岐隣窪津、東西二町許南北四町許、有港南向、其縦四十五間横二十六間、容漁舟三十艘、戸凡四十、船一」と記すように浦方的性格が強い。以布利とも書き、近代以降はこの表記となる。嘉応元年(一一六九)八月日の金剛福寺僧弘解(「蠧簡集」所収金剛福寺文書)に金剛福(こんごうふく)寺三昧供ならびに修造料所を記して「伊南弐町 一町毎月観音講料浦国名 伊布里 限北箕作谷」と、「伊布里」とみえる。ほぼ同様の記載は正嘉二年(一二五八)一〇月日の前摂政一条実経家政所下文・弘安四年(一二八一)五月日の前摂政鷹司兼平家政所下文案・正応二年(一二八九)五月日の前摂政一条実経家政所下文(同文書)にもみえ、建武二年(一三三五)四月七日の権少僧都心慶下知状(同文書)には金剛福寺領を書上げたなかに「以南村伊布里御供田四丁十代(下略)」とみえている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by