伊王野城(読み)いおのじょう

日本の城がわかる事典 「伊王野城」の解説

いおのじょう【伊王野城】

栃木県那須郡那須町にあった城。同町指定史跡。1185年(文治1)の屋島の戦い(源平合戦)で、沖に浮かぶ平氏の舟の扇を射落として名を挙げた那須与一子孫の那須一族の城で、伊王野小学校北側の比高130mほどの山に築かれた山城(やまじろ)。1239年(延応1)、那須氏の家督を継いだ那須光資の弟頼資の次男・資長が延応元年(1239年)に伊王野館を築いて、伊王野氏を名乗った。資長は那須七騎(なすしちき)の筆頭として、大きな勢力を誇った武将である。この資長を初代とする伊王野氏第13代の伊王野資清が戦国時代の長享年間(1487~89年)に、館の背後の山に築いたのが伊王野城である。近郊の大関氏や大田原氏が台頭するまでは、北那須地方の中心的な城であった。現在残る城の縄張りは、戦国時代末期のものと推定されており、その規模はたいへん大きい。伊王野氏は徐々に城を拡張していったと考えられている。1590年(天正18)の小田原の役に遅参したため、この戦いの後、豊臣秀吉から減封処分を受けたが、朝鮮出兵関ヶ原の戦いで活躍して家名を保ち、江戸時代には旗本となった。しかし、継嗣不在を理由断絶となり、一族は水戸藩大田原藩鳥取藩などに仕えた。JR東北本線黒田原駅からバス約25分。◇霞が城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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