大田原藩(読み)おおたわらはん

藩名・旧国名がわかる事典 「大田原藩」の解説

おおたわらはん【大田原藩】

江戸時代下野(しもつけ)国那須郡大田原(現、栃木県 大田原市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。藩校は時習館(じしゅうかん)。藩主大田原氏は、中世以来、豪族那須氏の有力な国人(こくじん)だった。豊臣秀吉(とよとみひでよし)小田原征伐大田原晴清(はるきよ)が参陣、7000余石の所領を安堵(あんど)された。関ヶ原の戦いでは東軍に与して徳川家康(とくがわいえやす)から5000石加増され、1万2000石の大名となった。以後明治維新まで14代にわたり存続した。幕末戊辰(ぼしん)戦争 では新政府に与したため、会津藩城下を焼き払われた。1871年(明治4)の廃藩置県により、大田原県、宇都宮県を経て、73年栃木県に編入された

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大田原藩」の意味・わかりやすい解説

大田原藩
おおたわらはん

下野(しもつけ)国大田原(栃木県大田原市)に居城を置いた外様(とざま)大名の小藩。藩主の大田原氏は、古くは大俵(おおたわら)とも書き、中世以来、豪族那須(なす)氏の有力部将として那須七騎の一人として活躍した。1590年(天正18)那須氏滅亡後もそのまま生き残り、関ヶ原戦後の加増を受け近世大名になり、藩が成立した。領地は居城のある那須郡を中心に、芳賀(はが)、塩谷(しおや)の下野国3郡にまたがる87村、1万1417石である。戊辰(ぼしん)戦争では新政府側に属したため、会津(あいづ)兵に城下を焼き払われている。廃藩後、大田原県、宇都宮県を経て1873年(明治6)栃木県の管轄となる。

[奥田謙一]

『『大田原市史』前後編(1982・大田原市)』『益子孝治著『維新と大田原藩』(1982・大田原風土記会)』『蓮実長著『那須郡誌』(1970・下野新聞社)』

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デジタル大辞泉プラス 「大田原藩」の解説

大田原藩

下野国、大田原(現:栃木県大田原市)周辺を領有した外様藩。藩主は大田原氏(大俵氏の表記もある)。

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