20世紀日本人名事典 「伊藤昇」の解説
伊藤 昇
イトウ ノボル
昭和期の作曲家
- 生年
- 明治36(1903)年1月31日
- 没年
- 平成5(1993)年2月7日
- 出生地
- 長野県
- 別名
- 別名=奥 良介(オク リョウスケ)
- 学歴〔年〕
- アテネ・フランセ〔昭和5年〕卒
- 経歴
- 大正8年横須賀海兵団・海軍軍楽隊に入隊し、3年後に退団。11〜12年浅草帝国館の松竹管弦楽団(島田晴誉・楽長)のトロンボーン奏者を務める。14年から山田耕筰指揮の日本交響楽団員となり、作曲を山田に師事した。のち新交響楽団、コロナ・オーケストラに参加。昭和8年からP・C・L管弦楽団の映画音楽監督、11年から東宝映画の専属作曲家として「妻よ薔薇のように」「桃中軒雲右衛門」など数多くの映画音楽を作曲する。一方、9年清瀬保二・太田忠らと「新音楽派」グループを結成。ピアノ曲「黄昏の単調」、歌曲「題の無い歌」、「戦線」や、無調・ポリリズムなどを混用した室内管弦楽曲「コンポジション」など、当時としては大胆な新しい語法による実験的な作品を作曲した。ほかの作曲に「アラスカの伝説による舞踊組曲《太陽を借りる》」など、また著書に「ヴィラ・ロボス」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報