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伊達慶邦 だて よしくに

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊達慶邦 だて-よしくに

1825-1874 幕末-明治時代の大名。
文政8年9月6日生まれ。伊達斉義(なりよし)の次男。義兄伊達斉邦(なりくに)の養子となり,天保(てんぽう)12年陸奥(むつ)仙台藩主伊達家13代。戊辰(ぼしん)戦争の際,奥羽越列藩同盟の盟主になるが敗れて謹慎を命じられ,領地は没収された。明治7年7月12日死去。50歳。初名は寿村,慶寿。号は楽山。

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朝日日本歴史人物事典の解説

伊達慶邦

没年:明治7.7.12(1874)
生年:文政8.9.6(1825.10.17)
幕末の仙台藩主。号は楽山。父は同藩主斉義。天保9(1838)年将軍徳川家慶の慶の字を下賜され,慶寿を名乗ったのち,12年襲封し14年慶邦と改名した。初め関白近衛忠煕の養女を妻に迎えたが,死別後は水戸の徳川斉昭の娘を新たに迎えた。天災,兵制改革,軍艦製造,幕命による蝦夷地警備などの財政支出に苦しみ,2度参府延期を願い出ている。幕末の政局に際し,藩内は尊攘派,佐幕派に分裂,対立し完全に収拾できないまま戊辰戦争を迎えた。朝廷の会津征討の命により出兵したものの白石での代表者会議で会津救済と征討軍解散の嘆願を決定し,それが拒絶されたため奥羽越列藩同盟を結び新政府軍と交戦した。明治1(1868)年9月降伏,翌年赦免された。<参考文献>『楽山公略伝』(仙台叢書12巻)

(長井純市)

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世界大百科事典内の伊達慶邦の言及

【奥羽越列藩同盟】より

…6月に,盟主は,輪王寺宮に変えられて,諸藩の平等な連合の性格が打ち出され,公議府を白石城に置いた。総督に仙台藩主伊達慶邦(よしくに)と米沢藩主上杉斉憲(なりのり),参謀に旧幕臣の小笠原長行(ながみち),板倉勝静(かつきよ)を任じて指導部とし,全国的な反新政府の戦略を構想し,新政権樹立を意図する動きもあった。同盟軍は,一部で勝利を収めたものの,北陸では,かなめとなる長岡藩が7月に敗北し,東北でも,同じく7月に秋田藩が同盟を脱退して苦境に陥った。…

※「伊達慶邦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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