伊達慶邦(読み)だて よしくに

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊達慶邦」の解説

伊達慶邦 だて-よしくに

1825-1874 幕末-明治時代大名
文政8年9月6日生まれ。伊達斉義(なりよし)の次男。義兄伊達斉邦(なりくに)の養子となり,天保(てんぽう)12年陸奥(むつ)仙台藩主伊達家13代。戊辰(ぼしん)戦争の際,奥羽越列藩同盟盟主になるが敗れて謹慎を命じられ,領地は没収された。明治7年7月12日死去。50歳。初名は寿村,慶寿。号は楽山。

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367日誕生日大事典 「伊達慶邦」の解説

伊達慶邦 (だてよしくに)

生年月日:1825年9月6日
江戸時代末期;明治時代の大名
1874年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の伊達慶邦の言及

【奥羽越列藩同盟】より

…6月に,盟主は,輪王寺宮に変えられて,諸藩の平等な連合の性格が打ち出され,公議府を白石城に置いた。総督に仙台藩主伊達慶邦(よしくに)と米沢藩主上杉斉憲(なりのり),参謀に旧幕臣の小笠原長行(ながみち),板倉勝静(かつきよ)を任じて指導部とし,全国的な反新政府の戦略を構想し,新政権樹立を意図する動きもあった。同盟軍は,一部で勝利を収めたものの,北陸では,かなめとなる長岡藩が7月に敗北し,東北でも,同じく7月に秋田藩が同盟を脱退して苦境に陥った。…

※「伊達慶邦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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