日本歴史地名大系 「伝市辺押磐皇子墓」の解説 伝市辺押磐皇子墓でんいちべおしはのみこぼ 滋賀県:八日市市西古保志塚村伝市辺押磐皇子墓[現在地名]八日市市市辺町 坤履中天皇の第一皇子で顕宗・仁賢両天皇の父でもある市辺押磐皇子を葬ったとされる古墳。「日本書紀」雄略天皇即位前紀によると、兄安康天皇を殺した眉輪王を倒した大泊瀬皇子(のちの雄略)は、兄安康が生前市辺押磐皇子に後事を託そうとしていたことを恨んで、近江の来田綿(くたわた)の蚊屋野(かやの)に猟と称して誘い出し、押磐皇子を殺害した。そして同書顕宗天皇元年二月条には、清寧天皇の死後即位した顕宗・仁賢の兄弟は、父市辺押磐皇子の遺骨を探させ、蚊屋野において掘起してその地に「双陵」を造らせたことがみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by