履中天皇(読み)リチュウテンノウ

デジタル大辞泉 「履中天皇」の意味・読み・例文・類語

りちゅう‐てんのう〔‐テンワウ〕【履中天皇】

記紀で、第17代の天皇仁徳天皇の第1皇子。名は去来穂別いざほわけ倭の五王一人、讃に比定する説がある。

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精選版 日本国語大辞典 「履中天皇」の意味・読み・例文・類語

りちゅう‐てんのう‥テンワウ【履中天皇】

  1. 第一七代天皇。名は去来穂別(いざほわけ)仁徳天皇の皇子。母は磐之媛命(いわのひめのみこと)。初めて諸国国史(ふみひと)を置き、四方の志(ふみ)(=国内情勢に関する報告書)を編纂させ、また、蔵職(くらのつかさ)を建て、蔵部(くらひとべ)を定めたという。倭の五王の一人に比定されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「履中天皇」の意味・わかりやすい解説

履中天皇
りちゅうてんのう

第17代に数えられる天皇。名はオオエノイザホワケノミコト。仁徳天皇の第1皇子。母は皇后イワノヒメノミコト。『日本書紀』によれば,仁徳天皇の死後皇位を望む同母弟の住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)に難波宮を囲まれたが,平群木菟(へぐりのつく)らと河内に逃れ,その後大和の石上神宮に入って,弟の瑞歯別王(みずはわけのみこ。→反正天皇)に仲皇子を殺させ,磐余稚桜宮(いわれのわかさくらのみや。→磐余)に即位した。草香幡梭皇女(くさかのはたひのおうじょ)を皇后とした。陵墓は履中天皇陵,ミサンザイ古墳とも呼ばれる,大阪府堺市百舌鳥にある百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)で,2019年世界遺産の文化遺産に登録。(→倭の五王

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「履中天皇」の意味・わかりやすい解説

履中天皇
りちゅうてんのう

生没年不詳。5世紀中葉の天皇。記紀では第17代に数えられる。ただし『日本書紀』には在位6年で稚桜宮(わかさくらのみや)に崩ずと記す。去来穂別(いざほわけ)(伊邪本和気)天皇(命(みこと))ともいう。仁徳(にんとく)天皇の皇子で、母は磐之媛(いわのひめ)とする。『宋書(そうじょ)』にみえる倭王讃(わおうさん)を履中天皇とみなす説がある。墓は百舌鳥(もず)耳原陵と伝える。現在履中天皇陵とみなされている古墳(堺(さかい)市石津ヶ丘町)は、全長365メートルの前方後円墳である。

[上田正昭]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「履中天皇」の解説

履中天皇
りちゅうてんのう

記紀系譜上の第17代天皇。5世紀前半頃の在位という。大兄去来穂別(おおえのいざほわけ)天皇と称する。仁徳天皇の第一子。母は皇后磐之媛(いわのひめ)。即位前,羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)の女(葦田宿禰の女ともいう)黒媛(くろひめ)をめぐり同母弟の瑞歯別(みずはわけ)(反正天皇)に同母弟の住吉仲(すみのえのなかつ)皇子を殺させた。磐余稚桜(いわれのわかさくら)宮(現,奈良県桜井市池之内付近)を営み,黒媛との間に市辺押磐(いちのべのおしは)皇子らをもうけた。「宋書」倭国伝の讃(さん)にあてる説がある。百舌鳥耳原南(もずのみみはらのみなみ)陵に葬られたとされ,大阪府堺市の石津丘古墳があてられる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「履中天皇」の解説

履中天皇 りちゅうてんのう

記・紀系譜による第17代天皇。在位は5世紀前半ごろ。
父は仁徳天皇。母は磐之媛命(いわのひめのみこと)。都は磐余(いわれ)の稚桜(わかさくらの)宮。「日本書紀」によると,はじめて諸国に国史(ふみひと)(書記官)をおいて,国内の情勢を報告させたという。「宋書」倭国伝の倭王讃(さん)とする説もある。履中天皇6年3月15日死去。70歳。墓所は百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)(大阪府堺市)。別名は去来穂別天皇(いざほわけのすめらみこと)。

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旺文社日本史事典 三訂版 「履中天皇」の解説

履中天皇
りちゅうてんのう

生没年不詳
5世紀前期の天皇
仁徳天皇の皇子。反正・允恭両天皇の同母兄。名は去来穂別尊 (いざほわけのみこと) 。『宋書』倭国伝の倭王讃 (さん) に比定する説がある。

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世界大百科事典(旧版)内の履中天皇の言及

【住吉仲皇子】より

…仁徳天皇の皇子で,母は磐之媛(いわのひめ)皇后。難波宮を焼き同母兄の履中天皇殺害を謀るが,天皇は物部大前宿禰,漢直阿知使主(あやのあたいあちのおみ)らに助けられ大和の石上(いそのかみ)神宮に入る。一方,皇子は瑞歯別皇子(みずはわけのみこ)(後の反正天皇)に指嗾(しそう)された隼人(はやと)の刺領布(さしひれ)に刺殺される。…

※「履中天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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