出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
記紀系譜上の第17代天皇。5世紀前半頃の在位という。大兄去来穂別(おおえのいざほわけ)天皇と称する。仁徳天皇の第一子。母は皇后磐之媛(いわのひめ)。即位前,羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)の女(葦田宿禰の女ともいう)黒媛(くろひめ)をめぐり同母弟の瑞歯別(みずはわけ)(反正天皇)に同母弟の住吉仲(すみのえのなかつ)皇子を殺させた。磐余稚桜(いわれのわかさくら)宮(現,奈良県桜井市池之内付近)を営み,黒媛との間に市辺押磐(いちのべのおしは)皇子らをもうけた。「宋書」倭国伝の讃(さん)にあてる説がある。百舌鳥耳原南(もずのみみはらのみなみ)陵に葬られたとされ,大阪府堺市の石津丘古墳があてられる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…仁徳天皇の皇子で,母は磐之媛(いわのひめ)皇后。難波宮を焼き同母兄の履中天皇殺害を謀るが,天皇は物部大前宿禰,漢直阿知使主(あやのあたいあちのおみ)らに助けられ大和の石上(いそのかみ)神宮に入る。一方,皇子は瑞歯別皇子(みずはわけのみこ)(後の反正天皇)に指嗾(しそう)された隼人(はやと)の刺領布(さしひれ)に刺殺される。…
※「履中天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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