伝法寺村(読み)でんぼうじむら

日本歴史地名大系 「伝法寺村」の解説

伝法寺村
でんぼうじむら

[現在地名]十和田市伝法寺

奥州街道を挟み、北側を奥入瀬おいらせ川が東流する。東は小平こだいら(現上北郡六戸町)南西米田まいた村、西は大不動おおふどう村と接する。

正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に伝法寺村、一七五石余とあり、同年の郷村帳では一七五・一七八石のうち田が一四七・一一九石であった。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では、高三九五・七九三石で七ヵ年の平均免は二ツ三分九厘四毛であった。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」には蔵分三五九石余、給分四〇一・二石余、馬一二三疋とあり、これには柳町やなぎまち村六七・六石余、小平村一六〇・三石余、鶴喰つるばみ(以上現六戸町)一八〇・七石余の三村が入っている。


伝法寺村
でんぼうじむら

[現在地名]築城町伝法寺でんぽうじ

松丸まつまる村の南に位置し、城井きい川中流域の平地および段丘・林地に立地する。中世伝法寺庄の遺称地。元和八年人畜改帳では家数七四・人数一三三(うち百姓三二・名子二三・鍛冶一)、牛二二・馬一七。郷村高帳では高六七五石余、うち新田高二九石余。旧高旧領取調帳では高六八七石余。「豊国紀行」に「伝法寺村より上は、谷の東西三町ばかり有」と記される。曹洞宗正光しようこう寺の本尊文殊菩薩は建久(一一九〇―九九)頃、宇都宮信房が下野国から勧請したといい(築上郡志)、「知恵の文殊さん」として親しまれる。


伝法寺村
でんぽうじむら

[現在地名]一宮市丹陽たんよう伝法寺でんぽうじ

西を五日市場いつかいちば村・九日市場ここのかいちば村と接する。天文九年(一五四〇)七月三日の足利義晴御内書写(東洋文庫蔵)に「丹羽郡伝法寺村」の記載がある。「寛文覚書」によれば、家数六五、人数四九五。「徇行記」によれば、八三五石余のうち七七五石余は藩士二五人の給知。田一八町一反余・畑四〇町一反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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