日本歴史地名大系 「伴村」の解説 伴村ともむら 広島県:広島市安佐南区伴村[現在地名]安佐南区沼田(ぬまた)町伴向(むかい)山北麓に発する安(やす)川(上流は奥畑川)が東流し、南の大塚(おおつか)村から流出する大塚川と、南流する細坂(ほつさか)川を合わせて東隣の長楽寺(ちようらくじ)村へ入る。小河川によって形成された谷底平野に村落が開けていたが、現在は住宅団地が相次いで造られ、景観を変えつつある。安川の北方では、大谷(おおたに)山と岳(たけ)山の間に姫路(ひめじ)峠があり、北隣の阿戸(あと)村へ出る。大谷山の西の桜(さくら)ヶ峠を越えると西北隣の吉山(よしやま)村である。古代の山陽道は安川に沿い、東の長楽寺村から当村に入り、安川支流大塚川に従って南の大塚村へ出たと考えられる。村内下伴(しもとも)からは弥生中期の太型蛤刃石斧が出土、硬質頁岩製で長さ一二・七センチ、刃幅六センチ、柄は樫で刃部に平行に装着された伐採用の手斧である。芦谷(あしだに)には弥生後期の遺物包含層がある。また雲願寺(うんがんじ)と安川沿いには六世紀から七世紀にかかる横穴式石室の古墳があるなど、早くから開かれた土地で、「和名抄」の佐伯郡土茂(とも)郷の中心となった地域である。同じく駅家(うまや)郷を伴村の東部安村境にあてる説も有力である。「延喜式」記載の山陽道の伴部(とも)駅を土茂郷内にもとめる説が強いが、安芸駅(現安芸郡府中町)と大町(おおまち)駅(現佐伯郡五日市町利松説が有力)の距離的中間は、伴村中心部より東へ外れた地にあたるが、そこに駅家郷を比定し、伴部駅の所在郷とする説も捨てがたい。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報