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佐久間真勝 さくま さねかつ

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美術人名辞典の解説

佐久間真勝

江戸前期の武人・茶人。名は実勝・直勝、号は寸松庵。はじめ豊臣秀吉に、のち徳川家に仕え、河内守に任じられる。茶は古田織部に学んだといわれる。晩年は大徳寺龍光院内に茶室寸松庵を建てて茶事三昧に過ごした。秘蔵の伝紀貫之筆の色紙は寸松庵色紙と称され名高い。寛永19年(1642)歿、72才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐久間真勝 さくま-さねかつ

1570-1642 織豊-江戸時代前期の武士,茶人。
元亀(げんき)元年生まれ。豊臣秀吉の小姓をへて徳川家康・秀忠・家光の3代の将軍につかえ,使番,作事奉行をつとめる。古田織部(おりべ)に茶道をまなび,晩年,京都大徳寺に寸松庵をたててこれを号とした。寛永19年10月22日死去。73歳。初名は実勝。通称は将監。

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朝日日本歴史人物事典の解説

佐久間真勝

没年:寛永19.10.22(1642.12.13)
生年:元亀1(1570)
江戸初期の武将,茶人。河内守政実の長男として生まれる。寸松庵と号した。初め豊臣秀吉の小姓となり,のち徳川家康,秀忠,家光の3代に仕え,御使番,作事奉行などを務め,伊予守,河内守,将監。寛永9(1632)年には江戸城の作事に当たった。茶は古田織部門,元和7(1621)年京都大徳寺竜光院内に寸松庵を営んで隠棲。寛永19年には寺内の西北の地に移転。『槐記』には近衛家煕が寸松庵の茶室を訊ねたおりの様子が記されている。烏丸光広から紀貫之色紙を譲り受けて所持。のちにこれらは寸松庵色紙と呼ばれた。

(谷端昭夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の佐久間真勝の言及

【寸松庵色紙】より

…古筆の一つ。縦横10cmほどの正方形の唐紙(からかみ)に《古今集》の中の歌各1首を書したもので,継(つぎ)色紙,升色紙とあわせて三色紙といわれる名品。ただし,色紙といっても後世のいわゆる色紙とは違い,升形両面書写の冊子本をばらし,かつ表裏剝ぎ分けたものである。茶人佐久間将監真勝(さねかつ)(1570‐1642)がこれを愛蔵したので,彼が大徳寺に設けた茶室寸松庵にちなんでその名がついた。なお,それ以前には堺の南宗寺にあったという。…

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