佐岡村(読み)さおかむら

日本歴史地名大系 「佐岡村」の解説

佐岡村
さおかむら

[現在地名]土佐山田町本村ほんむら

大平おおひら村の北東方、物部ものべ川北岸の河岸段丘上に位置する。大平村との間には佐野さの村の仁井田にいだ地区があり、仁井田との境には仁井田川が東南流、中部には後入ごうにゆう川が南流し台地を分断する。物部対岸杉田すいた村。佐岡郷六ヵ村の中心。

天正一七年(一五八九)の山田郷地検帳に佐岡村として一五〇筆一四町三四代二歩が記され、うち本田一一町一反余、屋敷二町三反余、畠五反余。屋敷数二四筆。一一人の長宗我部氏家臣の給地であるが、在地給人も岩崎久兵衛ら若干がみられる。

佐岡村
さおかむら

[現在地名]中村市佐岡・一条通いちじようどおり五丁目・大橋通おおはしどおり六―七丁目

うしろ川の下流左岸、中村町分の対岸にあり、上流麻生あそう堰から分流されたむら溝が流れる。「土佐州郡志」は「面後川背大坂山、東西二町余南北十七町許、戸凡四十七許」と記す。また観音寺かんのんじ村を経てきた中村街道が当村西方で後川を渡る。元禄土佐国絵図は後川を佐岡川とよび、船渡と記している。一条氏の町づくりの際、佐岡(左岡)を京の左京になぞらえたともいう。

天正一七年(一五八九)の左岡村地検帳によると検地面積三八町八反余、屋敷数二四うち居屋敷六。そのほとんどが「中村衆」、すなわち中村に本拠をもつ長宗我部氏家臣団の給地である。江戸時代には元禄郷帳によると本田高三九〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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