佐渡渡(読み)さわたりのわたし

日本歴史地名大系 「佐渡渡」の解説

佐渡渡
さわたりのわたし

江戸時代、美濃路の通行のため揖斐いび(渡し付近は佐渡川とも称する)の西岸佐渡村と東岸西結にしむすぶ(現安八郡安八町)とを結ぶ渡場。沢渡渡とも記す。美濃路見取絵図には佐渡村の東の河原に「乗船揚リ場」が描かれ、渡船場は「平水川巾五十間余、川巾堤ヨリ堤迄百四十三間」と記される。「座右秘鑑」によると、渡守給分として幕府から佐渡村内の屋敷高五石一斗を与える慶長一五年(一六一〇)証文があり、ほかに毎年大垣藩主より米一石が支給された。寛永年間(一六二四―四四)藩主松平定綱のとき、大名通行の際の支障をなくすため古来の渡守のほかに新たに七人の渡守が任命され、その給分として畑高五石余が与えられ、さらに次の藩主戸田氏鉄のとき畑高四石余を加えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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