佐瑠太村(読み)さるふとむら

日本歴史地名大系 「佐瑠太村」の解説

佐瑠太村
さるふとむら

[現在地名]沙流(さる)郡門別町字平賀(びらが)・字富浜(とみはま)・富川東(とみかわひがし)一―六丁目・富川西(とみかわにし)一―一二丁目・富川南(とみかわみなみ)一―六丁目・富川北(とみかわきた)一―七丁目・富川駒丘(とみかわこまおか)など

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治四二年(一九〇九)までの村。佐留太(「共武政表」など)とも書く。沙流郡の南西部に位置し、西は勇払(ゆうふつ)郡鵡川(むかわ)村(現鵡川町)に、南東は門別村・富仁家(とにか)村に、北は平賀村に接し、南西は太平洋に面する。沙流川が村の中央を流れ、当地で海に注ぐ(「状況報文」など)。近世の史料にサルフト、フイハフ、トイフルとみえる地などを含む。サル場所の運上屋(会所)は一八世紀末にモンベツに移転するまでサルフトに置かれており、同場所の中心地でもあった。明治六年七月の「日高国地誌提要」に佐溜太村とあり、同年一二月の浦河支庁管下の村調査では佐瑠太村とある(「事業報告」第一編)。同九年の大小区画沿革表や郡区沿革表でも佐瑠太村とあってこの頃には佐瑠太の表記が確定していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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