門別村(読み)もんべつむら

日本歴史地名大系 「門別村」の解説

門別村
もんべつむら

[現在地名]沙流さる郡門別町字本町ほんちよう・字緑町みどりまち・字旭町あさひまち・字幾千世いくちせ・字庫富くらとみ・字広富ひろとみ

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治四二年(一九〇九)までの村。沙流郡の南西部に位置し、日高門別ひだかもんべつ川の流域を占める。東は波恵はえ村に、北西から西は佐瑠太さるふと村・富仁家とにか村などに接し、北は日高門別川をさかのぼって貫気別ぬきべつ山地に至り、南西は太平洋に面する(「状況報文」など)近世史料モンベツとみえる地などを含む。一八世紀末、それまでサルフト(佐瑠太)に置かれていたサル場所の運上屋(会所)がモンベツに移され、以後当地がサル場所の中心地となった。「日高国地誌提要」に門別村とある。明治二年当地は沙流郡西半を支配地とした仙台藩の支配下(同四年まで)となる。一方、同年沙流郡東部を支配地とした近江彦根藩は、翌三年から同四年五月にかけて士族・平民計一四一人(家族持二五世帯)を波恵・慶能舞けのまい賀張かばりなどに入地させた。ところが同四年八月彦根藩の沙流郡支配が解かれたため、希望を失った移民たちは大半が近江に帰国、あるいは道内各地に離散した。しかし飯田信三・前川外吉・小島規矩夫・中村与吉などわずかな人々が当地などに残留を決意、その後彼らはいずれも近江商人の伝統を生かし、商業・漁業牧畜海運・政治・行政など各方面で活躍した(門別町史・日高開発史)


門別村
もんべつむら

明治四二年(一九〇九)から昭和二七年(一九五二)までの村。明治四二年四月、門別村外八ヶ村戸長役場管下の沙流さる郡門別村・佐瑠太さるふと村・平賀びらが村・富仁家とにか村・慶能舞けのまい村・波恵はえ村・菜実なのみ村・厚別あつべつ村・賀張かばり村の九ヵ村が合併し、二級町村制を実施して成立。旧村名を継承した九大字を編成。昭和四年一級町村制を施行した。明治四五年三月、三井物産王子製紙(明治四三年から苫小牧工場での操業開始)がそれまで苫小牧鵡川むかわ(現鵡川町)間で運行していた軽便鉄道(現JR日高本線)を佐瑠太まで延長させ、苫小牧―佐瑠太間での運行を開始、このため佐瑠太は沙流川上流から搬出された木材の積出地として繁栄した。この鉄道線は王子製紙が大正二年(一九一三)苫小牧軽便鉄道を創立させて一般営業線となり、佐瑠太駅(現JR富川駅)が開業した。同四年には佐瑠太―浦河間で客馬車が運行され、同九年には日高自動車会社によって同区間の定期バスの運行が開始された。


門別村
もんべつむら

[現在地名]様似郡様似町字平宇ひらう

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治一五年(一八八二)までの村。様似郡の南部に位置し、門別川の流域を占める。西は平鵜ひらう村に、東は染近しみちか村に接し、南は太平洋に臨む(「改訂様似町史」、「様似村旧大字図」様似町史など)。近世の史料にモンベツとみえる地などからなっていた。「日高国地誌提要」に「門別村」とあり、戸数二(平民)・人数三(男一・女二)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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