日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐竹蓬平」の意味・わかりやすい解説 佐竹蓬平さたけほうへい(1750―1807) 江戸後期の画家。信州(長野県)下伊那(しもいな)郡に生まれ、通称を佐蔵、長じて正夷(せいい)、字(あざな)は子衟(しどう)(道)、叔規(しゅくき)という。蓬平はその号。22歳のとき江戸に出て長崎派の花鳥画を身につけるが、自らの意にあわないとしていったん郷里に戻り、のち京都に出て池大雅(いけのたいが)に南画を学ぶ。1783年(天明3)には長崎から熊本に遊び、時習館教授高本紫溟(しめい)らと交遊。晩年は郷里で過ごし、中央画壇に出ることなく終わった。[星野 鈴] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐竹蓬平」の解説 佐竹蓬平 さたけ-ほうへい 1750-1807 江戸時代中期-後期の画家。寛延3年12月1日生まれ。池大雅に文人画をまなび,また篆刻(てんこく)もたくみであった。天明3年肥前長崎,肥後熊本などをまわる。一時上野(こうずけ)(群馬県)沼田にすんだが,晩年は郷里の信濃(しなの)(長野県)飯田ですごした。文化4年11月12日死去。58歳。名は正夷。通称は佐蔵。別号に亀文石。作品に「荘子夢想図」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「佐竹蓬平」の解説 佐竹蓬平 (さたけほうへい) 生年月日:1750年12月1日江戸時代後期の画家1807年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by