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佐竹隆義 さたけ たかよし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐竹隆義 さたけ-たかよし

1118-1183 平安時代後期の武将。
元永元年生まれ。佐竹昌義(まさよし)の子。兄忠義が常陸大掾(ひたちだいじょう)氏をついだため佐竹家をつぎ,常陸(茨城県)の奥七郡を領し本拠を太田にうつした。保元(ほうげん)・平治(へいじ)の乱では平氏に属し,治承(じしょう)・寿永の乱でも源頼朝軍に圧力をかけた。寿永2年5月20日死去。66歳。初名は詮義。通称は四郎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

佐竹隆義

没年:寿永2.5.20(1183.6.11)
生年:元永1(1118)
平安末期常陸国(茨城県)の武将。佐竹昌義と陸奥押領使藤原清衡の娘の子。太田四郎とも。法名蓮真。異腹の兄忠義が祖母の府中大掾家を継ぎ,源頼朝方に誅されたため,太田に拠って父の跡を継ぐ。昌義以来平氏に属し,平清盛の執奏により従五位,常陸介になる。その権威は境外におよび,郎中は国中に満つといわれた。源姓ではあるが,治承4(1180)年の頼朝の挙兵には参加せず在京。ために富士川の戦ののち頼朝は平氏追撃を断念。金砂城(茨城県)の一族を攻め,佐竹氏旧領を伊賀光季の一族や宇佐美氏などに分与。ただ,頼朝は平氏西走後も陸奥の藤原秀衡,常陸の隆義の存在を理由に上洛しなかった。<参考文献>『茨城県史』

(松井茂)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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