佐藤亮一(読み)サトウ リョウイチ

20世紀日本人名事典 「佐藤亮一」の解説

佐藤 亮一
サトウ リョウイチ

昭和・平成期の翻訳家 日本翻訳家協会会長。



生年
明治40(1907)年10月18日

没年
平成6(1994)年10月1日

出生地
青森県八戸市

学歴〔年〕
慶応義塾大学法学部〔昭和7年〕卒

主な受賞名〔年〕
国際翻訳家連盟国際翻訳賞(第5回 文学の部)〔昭和59年〕,日本翻訳出版文化賞〔平成3年〕「新版 中国人(上・下)」

経歴
毎日新聞記者、慶応義塾大学講師、東京慈恵会医科大学講師、共立女子短期大学教授・文科長を経て、日本翻訳家協会副会長。昭和63年会長に。「英文毎日」文芸欄コラムニストとして執筆活動に従事。主な訳書に「マラヤ混乱」、チャーチル「第二次世界大戦回顧録」、リンドバーグ「翼よ、あれが巴里の灯だ」、林語堂「北京好日」、フォックスバターフィールド「中国人」、パール・バック「大地」など。


佐藤 亮一
サトウ リョウイチ

昭和・平成期の出版経営者 新潮社名誉会長。



生年
大正13(1924)年1月3日

没年
平成13(2001)年1月7日

出生地
東京

学歴〔年〕
早稲田大学文学部独文科中退

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和61年〕,勲三等瑞宝章〔平成7年〕

経歴
昭和21年新潮社創業者の祖父・義亮の後を受け、父・義夫が2代目社長に就いたのを機に、大学を中退して副社長として入社。その後、23年出版部長、31年出版社としては初の週刊誌週刊新潮」を斎藤十一らと創刊、初代編集長を兼務、週刊誌ブームの先駆けとなった。42年社長に就任。56年写真週刊誌FOCUS」創刊し、写真誌ブームを生んだ。平成8年会長、12年名誉会長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤亮一」の解説

佐藤亮一(2) さとう-りょういち

1924-2001 昭和後期-平成時代の出版経営者。
大正13年1月3日生まれ。祖父佐藤義亮(ぎりょう)が創業した新潮社に昭和21年入社。出版部長や「週刊新潮」初代編集長をつとめ,42年社長。文芸書出版の伝統をまもりながら,56年に「FOCUS」の創刊で写真週刊誌のジャンルをひらいた。平成8年会長。平成13年1月7日死去。77歳。東京出身。早大中退。

佐藤亮一(1) さとう-りょういち

1907-1994 昭和-平成時代の翻訳家。
明治40年10月18日生まれ。毎日新聞記者,共立女子大教授を歴任し,日本翻訳家協会会長をつとめる。チャーチル「第二次世界大戦回顧録」,リンドバーグ「翼よ,あれがパリの灯だ」など160点をこす訳書があり,昭和59年国際翻訳賞受賞。平成6年10月1日死去。86歳。青森県出身。慶大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐藤亮一」の解説

佐藤 亮一 (さとう りょういち)

生年月日:1907年10月18日
昭和時代;平成時代の翻訳家。日本翻訳家協会会長;共立女子短期大学教授
1994年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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