佐藤勝三郎(読み)サトウ カツサブロウ

20世紀日本人名事典 「佐藤勝三郎」の解説

佐藤 勝三郎
サトウ カツサブロウ

明治〜昭和期のリンゴ栽培農家,キリスト教指導者,実業家 陸奥鉄道取締役。



生年
嘉永6年12月27日(1854年)

没年
昭和8(1933)年11月7日

出生地
陸奥国津軽郡(青森県南津軽郡藤崎町)

経歴
私塾に学んだのち藤崎村の村用係などを務める。明治17年親交があった青森のキリスト教指導者本多庸一から洗礼を受けてキリスト教徒となり、教会を藤崎に建設するべく奔走、20年東北で2番目となる藤崎メソジスト教会を設立した。18年宣教師ジョン・イングの指導でリンゴ栽培を志し、長谷川誠三らキリスト教徒の同志とはかって株式組織の敬業社を設立、真那板淵の荒れ地を開墾しリンゴ園経営を開始。同社の組合長・社長・支配人など八面六臂の活躍で青森リンゴの普及と生産拡大に尽力、26年秋には明治天皇にリンゴを献上し、一時は函館や横浜にも出荷するほどの業績を上げた。しかし27年頃から病虫害の被害が激しくなり、34年に敬業社は解散佐藤は社のリンゴ園を単独で買い取って経営を続行。のち郡会議員として地方政界でも活動、また陸奥鉄道の設立に大きく関与し、同社の取締役となるなど実業界でも活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「佐藤勝三郎」の解説

佐藤勝三郎

没年:昭和8.11.7(1933)
生年:嘉永6(1853)
明治期りんご栽培・販売の先覚者。青森県南津軽郡藤崎町生まれ。明治17(1884)年,キリスト教信者となり,20年,藤崎メソジスト教会を設立。教会に集まった長谷川誠三らを中心として,ジョン・イングに師事して西洋りんご栽培を志し,同18年,株式会社敬業社を設立した。佐藤はりんごの栽培から販売まで担当し,青森・函館・横浜などに出荷して経営実績を上げたが,27年ごろからりんごの病虫害に悩まされるようになり,34年,敬業社はついに解散した。佐藤は,りんごを明治天皇に献上するなどして普及に努めた。その他政界では郡会議員を務め,実業界では陸奥鉄道の設立にも貢献し,その取締役にも就任した。

(長谷川成一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤勝三郎」の解説

佐藤勝三郎 さとう-かつさぶろう

1854*-1933 明治-大正時代の園芸家。
嘉永(かえい)6年12月27日生まれ。陸奥(むつ)津軽郡(青森県)の人。明治17年洗礼をうける。翌年株式組織の敬業社を藤崎村に設立。約78haのリンゴ園を経営して西洋リンゴの普及につとめた。20年藤崎教会を新築。のち陸奥鉄道取締役。昭和8年11月7日死去。81歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android