日本歴史地名大系 「佐貫城跡」の解説
佐貫城跡
さぬきじようあと
武田氏の築城とされる中世の城跡。城域は東西約六〇〇メートル・南北約四〇〇メートルの規模を想定している。主郭は四方を土塁で囲み、最高所は六九・二メートルで、土橋を築く。西の
永禄三年(一五六〇)頃北条氏と里見氏の緊張のなかで、千葉胤富は慶増志摩守に対して佐貫に在城して防備を固めるよう指示し、原氏・高城氏・酒井氏らの派遣は一両日遅れると連絡している(一二月二五日「千葉胤富書状」慶増文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報