佐貫郷(読み)さぬきごう

日本歴史地名大系 「佐貫郷」の解説

佐貫郷
さぬきごう

現富津市佐貫とその周辺に比定される。「和名抄」にみえる天羽あまは讃岐さぬき郷の郷名を継承しており、「義経記」巻三に「上総国讃岐の枝浜を馳せ急がせ給ひて、磯が崎を打通りて、篠部、いかひしりと言ふところに著き給ふ」とみえる。国衙領および金沢称名寺領などとして推移する。法華疏記第八私抄(金沢文庫文書、以下断りのない限り同文書)の正応六年(一二九三)六月三日付の識語に上州佐貫談所とみえる。嘉元期(一三〇三―〇六)の題未詳聖教奥書には天羽郡内佐貫郷北方とあるので、鎌倉末期には南北に分れていた。康暦二年(一三八〇)町野長康の所領である佐貫郷内一〇〇貫文の下地金田かねだ保内高柳たかやなぎ(現木更津市)とともに称名寺領の加賀国軽海かるみ(現石川県小松市)と交換されている(八月三日足利義満御教書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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