佐里村(読み)さりむら

日本歴史地名大系 「佐里村」の解説

佐里村
さりむら

[現在地名]相知町大字佐里

松浦川の中流盆地に位置し、北にきし岳を背負い、南東日の河内ひのこうち山の山嶺が相対する。古くから開け、この地の岸岳一帯の山腹には縄文期の洞穴遺跡が認められる。佐里下さりしも佐里新溜さりしんため遺跡・寺の前てらのまえ遺跡、佐里上に長場溜池ながばえためいけ遺跡がある。

中世、この地は松浦庄西郷に属し、「吾妻鏡」の寛元三年(一二四五)一二月二五日の条に「松浦執行源授被籠其身、上野入道日阿所預守護也、是与鶴田五郎源馴、就肥前国松浦庄西郷内佐里村、壱岐泊牛牧等相論事、」とある。当時佐里村は上松浦に属し、鶴田氏の所領であったことがわかる。

「松浦家世伝」によれば、上松浦党波多持の次男来が鶴田の地を領して姓とし、その孫が馴とされる。鶴田の地名は佐里村内に存する。鶴田氏は、馴以後しばらく文献上に名を出さないが、戦国時代になり再び活躍が記録される。

明応三年(一四九四)大宰少弐政資が上松浦を攻めた時の様子を、「九州治乱記」は「明応三年甲寅正月、鏡通を過ぎて上松浦へ発向す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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