コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

何如璋 かじょしょう He Ru-zang; Ho Ju-chang

3件 の用語解説(何如璋の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

何如璋
かじょしょう
He Ru-zang; Ho Ju-chang

[生]道光18(1838)
[没]光緒17(1891)
中国,清末の外交官。広東省大埔県の人。字は瑛山。号は子峩。咸豊8 (1858) 年の進士。翰林院庶吉士,翰林院編修を経て,光緒2 (76) 年初代の駐日公使となり,翌年東京に着任した。同9年まで日本に駐在し,琉球問題,朝鮮問題などの処理にあたり,不平等条約の撤廃,朝鮮の植民地化など国権主義的外交論を主張した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

何如璋 か-じょしょう

1838-1891 清(しん)(中国)の官僚。
道光18年生まれ。初代駐日公使に任命され,明治10年(1877)来日。11-12年琉球の帰属をめぐり,外務卿の寺島宗則と交渉したが,妥結にいたらなかった。光緒17年死去。54歳。広東省出身。字(あざな)は璞山。号は子峩。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

何如璋

没年:光緒17(1891)
生年:道光18(1838)
清国の初代駐日公使。中国語読みは「ホー・ルーチャン」。広東省大埔の人。字は子峨。進士となり,李鴻章に認められる。駐日公使として明治10(1877)年12月に着任。13年12月までの3年間,琉球処分,条約改正,朝鮮問題などに直面。琉球処分では外交団引き揚げ,通商関係の断絶を要求するなど中国の主権擁護に努力した。また『使東述略』『使東雑詠』を著し,明治維新後の政治制度,兵制,地理,人物などを紹介したが,急速な西欧化には批判的であった。帰国後,福建船政大臣に就任。光緒10(1884)年,清仏戦争で福建海軍が壊滅,辺境警備に流された。<著作>何如璋等『甲午以前日本游記五種』<参考文献>鈴木智夫「中国における国権主義的外交論の成立」(『歴史学研究』404号)

(横山宏章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

何如璋の関連キーワード黄遵憲馬良ポートマン和了論語読み論語読みの論語知らずHarrisTownsend金嘉鎮山本拝石《朝鮮国語読本》

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone