保坂関(読み)ほうざかのせき

日本歴史地名大系 「保坂関」の解説

保坂関
ほうざかのせき

室町期、九里半くりはん街道に設けられた関。方坂ほうざかとも記される。設置の年代は文明四年(一四七二)以前であることは確かで、また朽木貞高とその孫貞清の頃の古文書に保坂関がみえるとされることから(文化九年「朽木綱泰系譜之内御尋之趣御答書控」朽木文書、以下とくに断らない限り同文書)享徳(一四五二―五五)頃までさかのぼる可能性もある。文明四年三月三日、延暦寺は朽木貞綱に保坂関の関務を重ねて安堵しており(延暦寺学頭代祐深等連署折紙)当関は延暦寺の管理下にあった。当関をめぐる権利はいくつかに分割され、関銭徴収にあたる関務については、関務一方公文分・関務代官職の名称がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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