改訂新版 世界大百科事典 「浅井久政」の意味・わかりやすい解説 浅井久政 (あさいひさまさ)生没年:?-1573(天正1) 戦国時代の大名。小谷(おだに)城主で江北を支配。通称新九郎,のち左兵衛尉,下野守を称す。父は亮政(すけまさ),母は側室尼子氏。1542年(天文11)家督を継ぐ。亮政の死を契機として再挙した京極高広に攻められ,和を結び危機を回避。江南の六角氏との戦いでも終始劣勢であり,軍事的・対外的にふるわなかった。60年(永禄3)家督を賢政(長政)に譲り隠退。73年織田信長軍に攻撃されて落城し,8月27日自刃。執筆者:細溝 典彦 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅井久政」の解説 浅井久政 あさい-ひさまさ ?-1573 戦国-織豊時代の武将。浅井亮政(すけまさ)の次男。天文(てんぶん)11年近江(おうみ)(滋賀県)小谷(おだに)城主となる。京極氏,六角氏らの勢力に圧迫されて対外的にはふるわず,隠居して子の長政に家督をゆずる。天正(てんしょう)元年織田信長に小谷城を攻められ,8月27日自害した。通称は新九郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by