コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

浅井久政 あさい ひさまさ

3件 の用語解説(浅井久政の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

浅井久政 あさい-ひさまさ

?-1573 戦国-織豊時代の武将。
浅井亮政(すけまさ)の次男。天文(てんぶん)11年近江(おうみ)(滋賀県)小谷(おだに)城主となる。京極氏,六角氏らの勢力に圧迫されて対外的にはふるわず,隠居して子の長政に家督をゆずる。天正(てんしょう)元年織田信長に小谷城を攻められ,8月27日自害した。通称は新九郎

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

浅井久政

没年:天正1.8.27(1573.9.23)
生年:生年不詳
北近江(滋賀県)の戦国大名。亮政の子。通称新九郎。左兵衛尉,下野守。亮政の正室蔵屋には初め男子がなく,長女鶴千代の婿に一族田屋氏から明政を迎えていたが,のち側室(尼子氏)に生まれた久政が,天文11(1542)年父の死により家督を継ぐことになった。これを機に,亮政に実権を奪われていた守護京極氏が攻勢に転じ,同18年京極高広(高延)との和睦を余儀なくされたうえ,南近江の六角氏からは,嫡子新九郎(長政)に六角義賢の諱の1字を受けて賢政と名乗らせ,義賢の家臣の娘を妻として迎えるよう強要された。こうした弱腰の外交に重臣らの不満は高まり,久政は賢政の妻を離縁して六角氏と断交するが,翌年,野良田(彦根市)で賢政が浅井氏として初めて六角軍を破ると,賢政を支持する重臣らによって隠居させられた。しかしその後も家臣に出陣命令を出すなどの活動がみえ,領国支配を側面から支え続けていたことがわかる。織田信長に小谷城(湖北町)を攻められ,長政より1日前に自殺,徳勝寺(長浜市)に葬られた。

(河村昭一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

あさいひさまさ【浅井久政】

?‐1573(天正1)
戦国時代の大名。小谷(おだに)城主で江北を支配。通称新九郎,のち左兵衛尉,下野守を称す。父は亮政(すけまさ),母は側室尼子氏。1542年(天文11)家督を継ぐ。亮政の死を契機として再挙した京極高広に攻められ,和を結び危機を回避。江南の六角氏との戦いでも終始劣勢であり,軍事的・対外的にふるわなかった。60年(永禄3)家督を賢政(長政)に譲り隠退。73年織田信長軍に攻撃されて落城し,8月27日自刃。【細溝 典彦】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

浅井久政の関連キーワード浅井亮政戦国大名六角定頼蒲生賢秀浅見俊孝磯野為員井口義氏京極高峯上坂泰舜道家清十郎

今日のキーワード

アレルギー

語源はギリシャ語。「変わった(変えられた)働き」です。関係しているのは、人間の免疫システム。免疫は本来、人の体を守る仕組みですが、ときに過剰反応し、不快な症状を引き起こすことがあります。それがアレルギ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

浅井久政の関連情報