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浅井久政 あさい ひさまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

浅井久政 あさい-ひさまさ

?-1573 戦国-織豊時代の武将。
浅井亮政(すけまさ)の次男。天文(てんぶん)11年近江(おうみ)(滋賀県)小谷(おだに)城主となる。京極氏,六角氏らの勢力に圧迫されて対外的にはふるわず,隠居して子の長政に家督をゆずる。天正(てんしょう)元年織田信長に小谷城を攻められ,8月27日自害した。通称は新九郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

浅井久政

没年:天正1.8.27(1573.9.23)
生年:生年不詳
北近江(滋賀県)の戦国大名。亮政の子。通称新九郎。左兵衛尉,下野守。亮政の正室蔵屋には初め男子がなく,長女鶴千代の婿に一族田屋氏から明政を迎えていたが,のち側室(尼子氏)に生まれた久政が,天文11(1542)年父の死により家督を継ぐことになった。これを機に,亮政に実権を奪われていた守護京極氏が攻勢に転じ,同18年京極高広(高延)との和睦を余儀なくされたうえ,南近江の六角氏からは,嫡子新九郎(長政)に六角義賢の諱の1字を受けて賢政と名乗らせ,義賢の家臣の娘を妻として迎えるよう強要された。こうした弱腰の外交に重臣らの不満は高まり,久政は賢政の妻を離縁して六角氏と断交するが,翌年,野良田(彦根市)で賢政が浅井氏として初めて六角軍を破ると,賢政を支持する重臣らによって隠居させられた。しかしその後も家臣に出陣命令を出すなどの活動がみえ,領国支配を側面から支え続けていたことがわかる。織田信長に小谷城(湖北町)を攻められ,長政より1日前に自殺,徳勝寺(長浜市)に葬られた。

(河村昭一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

あさいひさまさ【浅井久政】

?‐1573(天正1)
戦国時代の大名。小谷(おだに)城主で江北を支配。通称新九郎,のち左兵衛尉,下野守を称す。父は亮政(すけまさ),母は側室尼子氏。1542年(天文11)家督を継ぐ。亮政の死を契機として再挙した京極高広に攻められ,和を結び危機を回避。江南の六角氏との戦いでも終始劣勢であり,軍事的・対外的にふるわなかった。60年(永禄3)家督を賢政(長政)に譲り隠退。73年織田信長軍に攻撃されて落城し,8月27日自刃。【細溝 典彦】

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