日本歴史地名大系 「保木村」の解説 保木村ほうきむら 山口県:岩国市保木村[現在地名]岩国市大字保木杭名(くいな)村の南に位置し、保木川下流東岸の村で、対岸は角(すみ)村。寛永二〇年(一六四三)に河内(こうち)郷を分割してできた村で、慶安四年(一六五一)の「御領分村一紙」に「保気村」とみえる。しかし一般には保木の字を用いる場合が多かった。村名の由来を「玖珂郡志」は「往古朴木ノ大木有之タル由、依之」と記す。保木には天文―弘治(一五三二―五八)の頃、河内の七屋敷(→高木屋敷跡)の一といわれる片山屋敷があり、「玖珂郡志」も高木一族が住んでいたことを記し、大永三年(一五二三)以来の大内家よりの文書を村内の左衛門が所持するとある。これらの文書や覚書など、ほぼそろって高木家に現存する。 保木村ほきむら 岐阜県:吉城郡河合村保木村[現在地名]河合村保木林(ほきばやし)小鳥(おどり)川左岸、東は中沢上(なかそうれ)村、南対岸は有家(うけ)村。村名は狭隘な崖地の意と思われる。慶長一八年(一六一三)の飛騨国郷帳では小鷹利(こたかり)郷に属し、高一二石余。元禄五年(一六九二)の年貢割付帳(西森文書)では、本高一二石余・古開高四七石余とある。元禄検地反歩帳では高一九石余、田一町三反余・畑二町四反余。「飛騨国中案内」では免三割五分三厘、家数九(うち百姓六・門屋三)。天明八年(一七八八)の村明細帳では、新田高八石余、家数九、男三二・女二八、農間に男は漆・蝋を取り、紙を漉く。 保木村ほきむら 兵庫県:三木市保木村[現在地名]三木市口吉川町保木(くちよかわちようほき)東(ひがし)村の東、美嚢(みの)川中流の吉川(よかわ)谷入口付近に位置する。慶長国絵図にみえる「上野木」が当村とされる。初め姫路藩領、元和三年(一六一七)明石藩領となるが、寛永九年(一六三二)に上知されたとみられる(「寛政重修諸家譜」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by