日本歴史地名大系 「保田庄」の解説
保田庄
やすだのしよう
- 和歌山県:有田市
- 保田庄
安田とも書く。有田川下流の氾濫原や山裾の曾神社神楽免田注文(伊太
曾神社文書)に「金峯山御領(中略)保田庄弐町」とあるのが初見。ただしこの文書は原本ではない。次いで建暦三年(一二一三)二月日付の慈鎮所領譲状案(「華頂要略」所収)に山門系の山城常寿院領として荘名のみ所見。さらに建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)には、請所の中に冷泉宮領として所見。次に述べる地頭保田氏の請所となっていたものとみられる。この間の伝領関係などは未詳。近衛家領としても、以後の史料はなさそうである。荘域・面積なども不明であるが、東は
当庄の歴史で注目されるのは、鎌倉時代湯浅党の有力者保田氏の本拠であったこと、また湯浅氏の出である明恵が一時期修行して、その旧跡に星尾寺(現神光寺)が創建されたことである。保田氏の祖宗光は湯浅宗重の七男。
保田庄
やすだのしよう
建暦三年(一二一三)二月日の慈鎮所領譲状案(華頂要略)に延暦寺
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報