信太寺跡(読み)しのだじあと

日本歴史地名大系 「信太寺跡」の解説

信太寺跡
しのだじあと

[現在地名]和泉市上代町

信太山しのだやま丘陵北端に位置する高台にある。現在の瑞龍山観音かんのん(浄土宗)の北側一帯に伽藍があったとされている。近年まで、観音寺付近から出土した端丸瓦・端平瓦などの文様から、奈良時代創建の寺院があったことがほぼ間違いないとされ、保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に「拾参町 信太寺 相博田」とみえる信太寺との関係が推測されていたが、両者の結びつきは明白でなかった。ところが昭和五二年(一九七七)の発掘調査で「信太寺」「信」の文字瓦が発掘されたことにより、この遺構が信太寺のものであることが確認された。さらに翌五三年にも寺跡中心部の発掘調査が行われ、土壇および積基壇などが確認された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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