倉永村(読み)くらながむら

日本歴史地名大系 「倉永村」の解説

倉永村
くらながむら

[現在地名]大牟田市倉永

原内山はるうちやま村の西、くま川左岸にあり、甘木あまぎ丘陵の北側・東側一帯にあたる。南は甘木村深浦ふかうら村。中世には三毛みけ庄北郷のうち。文永一一年(一二七四)七月一日の筑後三潴庄白垣村等田畠在家注文(田部文書/鎌倉遺文一五)には「前武州御給分」として倉永名がみえる。前武州は北条長時に比定される。同注文では倉永名の在家数は田所の注文では五ヵ所、頼持・頼行の注文では九ヵ所・三町六反二丈となっている。頼持・頼行は肥後相良氏の庶流山北相良氏の一族で、三毛庄内弥富名・倉永名で何らかの所職・所領を相伝していた(「三毛北郷弥富名亀山相伝系図写」山北相良文書/熊本県史料 中世篇四など)。天文一九年(一五五〇)頃のものと推定される年月日欠の三池氏等知行坪付(田尻家文書/佐賀県史料集成七)には「三池殿持分」として「くら永」二五町がみえ、三池氏の知行地であったが、天正七年(一五七九)龍造寺隆信に帰順した田尻鑑種は倉永の領有を龍造寺氏に要求したとみえて、「鎮実覚護之内、可遂御詫言在所」とする自最前至鎮並申合候村付(田尻家譜/大和町史資料編)に倉永二五町があげられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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