元紺屋町(読み)もとこんやまち

日本歴史地名大系 「元紺屋町」の解説

元紺屋町
もとこんやまち

[現在地名]甲府市元紺屋町・宮前町みやまえちよう

愛宕あたご町の北に続く南北通りの町人地で、上府中二六町の一町。城下の北東端に位置する。東は荒神こうじん山と愛宕山の西斜面、北は古府中こふちゆう村の大泉だいせん寺門前道路が交わり、西はふじ川を挟んで八幡前はちまんまえ屋敷がある。慶長一六年(一六一一)の古府中再検地帳(県立図書館蔵)にみえる「こうや小路」が旧地名と考えられ、慶安三年(一六五〇)の府中伝馬人足割帳(同館蔵)では「古こんや町」と記す。宝永二年(一七〇五)元紺屋町と改めた(「上下府中人数覚」同館蔵)町名は武田氏時代紺屋職人の居住地であったことにちなむ(裏見寒話)。享和三年(一八〇三)の小間数書上帳(県立図書館蔵)によると東側一九七間半に対し西側一四三間となるのは、通り北端部の西側を藤川が南流するためである。人数は寛文一〇年(一六七〇)八一人(「御用留」同館蔵)、宝永二年一〇一人、うち僧七・山伏五・比丘尼一(前掲上下府中人数覚)、宝暦六年(一七五六)七四人、内訳は男三七・女二八・僧六・山伏三(「宗門帳人数」県立図書館蔵)


元紺屋町
もとこんやまち

[現在地名]高崎市元紺屋町

白銀しろがね町の北にある。西から北は町が鉤の手に延びて接する。本紺屋町とも記され、南側の長さ三八間、北側四〇間、名主は中島源介(高崎寿奈子)。「高崎志」に「此町ノ名主宇佐美某ガ先祖、昔箕輪ニアリテ、長野信濃守城主ノ時、領分紺屋ノ長タリ、其後井伊氏ノ領地ト成、慶長年中此地ニ移リテモ、旧例ニ因テ領分紺屋ノ支配ヲナスベキ旨、城主ヨリ命ゼラレ、年々紺屋ノ役銀ヲ取集メ、領主ノ役所ヘ納ムル由、延享三年奉行所ニ出シタル由緒書ニ有ト云」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android