日本歴史地名大系 「光台院」の解説 光台院こうだいいん 和歌山県:伊都郡高野町高野山五之室谷光台院[現在地名]高野町高野山福智(ふくち)院の北、南北に通じる光台院谷の突当りに位置する別格本山。本尊は阿弥陀三尊。開基は後鳥羽天皇第二皇子で鳴滝御室とも称する光台院御室道助親王(信堅院号帳)。しかし白河天皇第四皇子の御室覚法親王の草創(高野山通念集・続風土記)とも、光台院御室道助親王の再興(高野伽藍院跡考)ともいい、諸説ある。最初金剛乗(こんごうじよう)院(金剛定院)と号し、後に光台院に改められたという(同書)。親王家による草創、あるいは京都仁和寺の支配下にあったことから高野御室(こうやおむろ)とも称され、道助親王または覚法親王が院内に五つの庵室を造ったと伝え、五之室(ごのむろ)の名の由来ともされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by