日本歴史地名大系 「光孝天皇陵」の解説
光孝天皇陵
こうこうてんのうりよう
[現在地名]右京区宇多野馬場町
光孝天皇は仁明天皇第三皇子で母は藤原沢子(総継女)。元慶八年(八八四)即位するが、わずか三年で仁和三年(八八七)八月に没した。五八歳。同年九月二日小松山陵に葬られた(日本紀略ほか)。陵域については「日本紀略」同九月八日条に「向小松山陵
定
兆域四至
令
壊
其内所
在八寺
」とあり、「延喜式」諸陵寮には「在
山城国葛野郡田邑郷立屋里小松原
、陵戸四烟、四至、西限
芸原岳岑
、南限
大道
、東限
清水寺東
、北限
大岑
」と記され、広大さが知られる。のち地名変更もあって所在が不明となり、明治二二年(一八八九)この地にあった
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報