日本歴史地名大系 「宇多野」の解説 宇多野うたの 京都市:右京区宇多野福王子(ふくおうじ)・鳴滝(なるたき)一帯を中心にひろく花園(はなぞの)の地も含まれたと思われる。「日本後紀」大同元年(八〇六)三月一九日条に「以山城国葛野郡宇太野為山陵地」とみえ、宇太野と記され、当地を山陵の地と定めている。光孝(仁和三年没)・村上(康保四年没)・円融(正暦二年没)三天皇及び光孝天皇皇后班子女王(昌泰四年没)の陵墓があるのもそのためと思われる。また「日本紀略」延暦一八年(七九九)一〇月二二日条に「遊猟西野」とあるが、この「西野」は、洛西花園付近を西山とよび、鳴滝川(御室川)を西川と称したことからすれば、当地近辺と考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇多野」の意味・わかりやすい解説 宇多野うたの 京都市右京区、双ヶ丘(ならびがおか)西方の福王寺、鳴滝(なるたき)を含む一帯の地。京福電鉄北野線が通じる。『日本後紀』には宇太野と記され、「山陵の地と定む」とあり、9~10世紀の光孝(こうこう)、村上(むらかみ)、円融(えんゆう)の3天皇の陵墓がある。また禁野(きんや)として、天皇の鷹狩(たかがり)の猟場とされていた。花山院(かざんいん)藤原師継(もろつぐ)の山荘を改築して建立された妙光寺(みょうこうじ)は、花山院家の菩提寺(ぼだいじ)となり、南朝との関係が深い。[織田武雄][参照項目] | 鳴滝 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の宇多野の言及 【宇太野】より …宇多野とも書く。京都市北西郊の右京区宇多野周辺の地をいう。… ※「宇多野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by