コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

光永平蔵 みつなが へいぞう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

光永平蔵 みつなが-へいぞう

1804-1862 江戸時代後期の治水家。
文化元年生まれ。肥後(熊本県)益城郡(ましきぐん)木倉手永(きのくらてなが)の惣(そう)庄屋,光永惟影の養子。嘉永(かえい)元年(1848)石造の御船川(みふねがわ)眼鏡橋をきずき,安政6年(1859)御船町地域に「嘉永の井手(用水路)」をひらいた。文久2年10月9日死去。59歳。本姓は加来。名は惟詳(これよし)。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

光永平蔵

没年:文久2.10.9(1862.11.30)
生年:生年不詳
江戸後期の治水功労者。熊本藩木倉手永惣庄屋光永円右衛門惟影の養子。名は惟詳,通称はじめ次郎助。天保2(1831)年養父の跡を継いで惣庄屋となるが,10年病を得て辞任した。14年,再び芦北郡湯浦手永・久木野手永惣庄屋,益城郡木倉手永に所替となり,文久2(1862)年病死するまで惣庄屋を務めた。在職した30年間に多くの水利橋梁工事を手がけた。御船上町の石造2連の眼鏡橋,七滝村八勢の石造眼鏡橋,嘉永新井手がその代表的成果である。なかでも嘉永新井手は7年を費やして北中島亀甲川を水源とし,20カ所余,900mの隧道を穿って延長28kmの水路を貫通させ,数百町歩の新田を開発し米穀の産出を可能にした。<参考文献>武藤厳男『肥後先哲偉蹟』

(松本寿三郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

光永平蔵の関連キーワード文化岩井半四郎歌川豊国ギャンジャブレイク(William Blake)ケイ=シャトルワース藩学一覧サイゴン条約黒住教奈破崙

今日のキーワード

優曇華

《〈梵〉udumbaraの音写「優曇波羅」の略。霊瑞、希有と訳す》1㋐インドの想像上の植物。三千年に一度その花の咲くときは転輪聖王が出現するという。㋑きわめてまれなことのたとえ。2 クサカゲロウ類が産...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android